いつか何処かで…。47
倉敷はどんより曇り時に薄日が差していた。気温は固い、じっとりとした風がまとわりつく。
私は読んでくれる人もないものを載せている。時間つぶしの行いをして、心のイライラを和す利用としている。
今の日本は戦争中である、秩序の乱れは、人の心は、・・・。
秋風に逢ふたのみこそ悲しけれ 我が身空しくなりぬと思えば 小野小町
ときの訪れと同じであろう女の定め、その苦悩を知らずに、純白の衣を風に泳がせ蝶に戯れるそのお姿はまるで天女のさまでございました。
何も知らずに天女として過ごされるか、衣を汚しながら女の命を全うされるか、清子さまの生き行く道を思い浮かべながらひと時の想像をめぐらせ心躍らせたのも確かでございます。案ずるゆえの悪戯の心がそうさせたのでございます。
殿御の文に身を焦がす事がそれほど遠いときの運びを待たなくてもすぐであろう事は・・・。そのときのお顔を頭の中に描きながら成長する一輪の花を眺めていたのでございます。
純白の敷物の上に扇状に広がる豊かで長い黒髪、戯れる一匹の蝶、その姿を心の奥に期待していたのでございます。
美しいものに対してないものが求める悲しい性なのでございましょうか・・・。
華麗なものを壊したいという寂しい女心なのでございましょうか・・・。
私のことを・・・。
弥生式部と名乗っておるが、それは真っ赤なうそ。
小野の荘のこの館で雑仕女をしていた女ですわ・・・。
吉子さまと年は同じ、更衣としてあがられる女もおれば、里の館で雇われて手伝う女もおりました。身の不運、いいえ生まれた家の違いとあきらめていたことと申せ、あでやかな御出でたちの吉子様を知らず知らずに比べ羨ましく眺めているいたいけない少女だったのであります。
湖面に顔を映してもさして変りのない容貌と思ってもその隔たりはあまりにも大きかったのでございます。
吉子さまが更衣としてあがられたその夜、お酔いになられた館様が・・・。
琵琶湖の漣が大きなうねりに変り私を飲み込んでいきました。
風が吹き雨がたたき雪に弄ばれながら嵐が通り過ぎた後・・・。
私は琵琶湖からの風を体に受けようと衣の前を大きく開き何時までも立ち尽くしていたのでございます。
―女になった、この館の女より先に、おんなになったーー
心の中でそう叫んでおりました。
だけど、その居丈高もこれからの道のりへの歩みの不安と恐怖で揺れ、それゆえの叫びであったのでしょうか。
引いてゆく更け待ちの月明かりがそんな私を照らしていたのでございます。影は足元にうずくまりじっとしていたのでございます。
頬は微かに笑みを浮かべていたのでございます。
熱い獣の血がざわざわと動き出しているのを感じながら恐怖におののいていたのでございます。
回廊を渡る風は雨を予感させるように・・・。火照った体から噴出した汗を奪い取ることはございませんでした。
そんな日がありまして・・・。
館様は思い出したように・・・。私の幼い性はだんだんと開花していったのでございます。
十二歳になられた清子さまは相変わらず和歌に親しみ書に励み女子としての素養教養を身につけておられたのでございます。
その頃から館の池にお顔を映して化粧をほほに広げるようになりました。だけど白い化粧をなされても地黒の肌は隠せなかったのでございます。
それに引き換えこの私はだんだんと透き通ったような肌に変わり、乳房も大きく張りを持ち腰の括れも滑らかになっていったのでございます。
男が女の体を変えていったのでございます。
館様の寵愛を受けながらの雑使女の働き・・・。
いつかそれは吉子さまが更衣として宮中に上がられたすぐ後、館様が、時あらば書を習い、歌を鍛錬せよとのお言葉を・・・。
それはほんにうれしいお言葉でございました。
今こうして弥生式部と・・・。
父が式部の将ゆえ名をそのように・・・。
いいえ、いいえただのばばでございますが・・・。
そのことには後がございました。
清子さまが十四歳になられると宮中に上がられることが決まり、私もお側つきの女としてお供いたすことになったのでございます。そのための支度であったのでございます。
小町は成長して、その思惑に翻弄されることになる。
人が生きた時代には社会のしがらみから逃れられず、その流れに逆らえず、ただかいだんを上った…。