明日は今日より素晴らしい…。3
倉敷は昼間を灼熱地獄、夕方には涼しくなった…。
私は暦では生きていない、海の日、山の日、も知らない。
梅雨が明け、夏休みが始まっていることも知らなかった。
世間音痴なのか、いいえ、自分のサイクルで生きているのであまり関心がない。
そんな日々にも日本の現状が耳に届く。
テレビと新聞社の情けない真実にはうんざりしている。国民の無関心さには腹が立っている。
国民は国に憲法を盾にして権利だけを要求しているが、国民には義務も付きまとっている。義務ありての権利であることを知らない。
なぜそんな品性下劣な国民になったのか、考えることを忘れて時の流れに身を任せたというのか。欲望に負けて将来のことを、歳をとることを忘れていたのか。快楽に酔いしれ溺れて慎みまでなくしたのか。自分は悪くない政治が悪いと言っておれば楽な暮らしができるのか。いつも被害者の演技をして端役でいたいのか。生きることの何たるかを知ろうとしないで終わりを迎えるのか。
世界の中にあっさて日本国ほど恵まれている国はない。その認識はなくもっといい国があると錯覚して叫ぶのか、努力もしないで。
水道水がそのまま飲める国は世界でも20国もない、停電することもなく、鉄道、道路は整備されている。200万の年収でも食べられる、健康保険は国民に平等に与えられている、年金も贅沢をしなかったら飢えることはないだけもらえる、車は全員が持っている、市場には商品があふれていて持っている金に見合った生活ができる・・・。
イギリスでいうところの生まれて墓場までを日本は国民に約束しそれを実行している。世界でも長寿としてはこの国である。高校まで授業料の無料化、子供たちの医療費は無料、馬鹿でもはいれる大学は無視の数ほどで教育補助を一人の生徒当たり年間300から1100万円を国民の税金で払って教育環境を作っている。何を言っても罵倒しても言論の自由として罰せられない。夜に女性が独り歩きをしても襲われることはない。玄関にカギをかけなくても泥棒は入らない。
こんな国に住めて何の不都合があろうか、とはいえもっともっとと激しい欲望に振り回され叫ぶ人たちがいる。
自然の四季に恵まれ山海の珍味を味わうことができる。国民の贅沢が自給率を下げている、それは食べ残しをすることに起因していることを知らない。
日本は領海を含めると世界で6番目の領土を有している。
私は若いころ東京にいたが家人の故郷へきてもう50年になろうとしている。本当に良かったと思っている。公害の町だが、そこには自由があったから…。東京にいたらたぶん死んでいただろう。圧し潰されていただろう。
今思うことは昔の東京の姿である。いいところしか思い浮かばない。
「砂漠の燈台」で東京を書いたがそれは想像で書いた。55歳から60歳まである組織を作るために月に2回ほど東京の会議にでていたが倉敷に帰りたくてしょうがなかった。その時に眺めた東京を書いた。
3年間で3000万円提供するから演劇公演を活発にやってくれないかと言われたが、政府の金をもらうことに憚れてお断りをした。ひも付きになった劇団もたくさん出た。
そんなことで拘束されることを望まなかった。
博打の儲けで文化が振興できるとも思えなかった。私は、人は身銭を切らなくては正しい成長がないという考えに固辞していた。
自由を謳歌しながら劇作家と演出家の道を歩んだ。それも60歳ですべてを棄てた。足らずを補うために深呼吸をした。
「砂漠の燈台」の最終部をここに…。
縄文期の出土される土偶には女性の妊婦の姿をしたものが大量に発見されています。そこに縄文期の男と女の濃厚な愛を見るのです。男は妻になる人のために首や手首を飾る装飾品を作り頭に載せる飾りを作るのです。求愛する、素朴な出あいで純真な関係が生まれ、女は初潮を迎えると一緒に暮らすようになり、やがて子をはらむのです。何の打算もなくただ愛という絆が続くのです。男は女の妊婦の姿に似せて土を練り作るのです。完成して壊して住居地にばらまいて隠すのです。妊婦の息災を願い、身代わりとして壊すことで女を守ったのです。二十数歳の寿命の中で彼たちは次の世代に託す命を誕生させ命を終えるのです。ただ遺伝子を残して…。
そこに今では考えられない幸せな時間を共有していた歴史があるのです。縄文期の男と女の時間、それは動物の女としても、私は羨ましさを感じてしまうのです。そこに人間が存在した証拠として真の人間社会があることを思うのです。なぜ、そのような縄文期という時代が一万七千年間という長く続いたのか、そこには動物として、人間としての誕生と死んでいく中に愛という相互の関係の中になにか最も大切なものがあったとしか思われません。それは命を運ぶこと、その本能の中に充実した愛による生活の支配があった、だから縄文期が長く続いたという結論を見るのです。
人間の心の中に巣くう遺伝子を解き明かし引き出してこれからの人間を創造することに生涯をかけたいのです。あなたと一緒に…。
滅びることのない二人の文明を作るために…
砂漠の燈台の灯りに導かれた人類のためにも…。
生きることも死ぬこともそれを超えた時に本当の人間の姿が見えてくることも…。
そして、愛する思いを永遠にしようとするとき、その永遠は遺伝子しかないことも…。
あと数日の後、私は緑なす北海道の大地の中に、今までと異なる思いを抱いて立ち尽くしているでしょう…。
出版は8月の中頃か、全国の書店にて販売される。
これは私の遺書として書いた…。