『東日本大震災』ブログ記事アーカイブ(1)
今日は、東日本大震災と、それに引く続く福島原発事故から、満5年の日です。あらためて、大震災と原発事故で、お亡くなりになったみなさま方に対しまして、哀悼の誠を捧げ、そのご家族のみなさま方には謹んでお悔やみを申し上げます。 震災後は、しばらくはブログ記事を綴る気にもならず、ブログを再開したのは、3月26日になってからでした。その後、何日か「大震災に思う」の表題で記事を連載しました。その記事を、アーカイブとして、しばらく連載して、当時をふりかえることとします。 なお、当時はまだ「東日本大震災」の語は定着しておらず、ブログ記事では「東北関東大震災」と言う語を使用しています。また、その他、今考えれば、勘違いや誤字が多々あるかとは思いますが、アーカイブとしての性格を考慮して、原文のままとさせていただきます。 (以下記事は2011年当時のものです。)今日(3月15日)、大震災対策の国全体の責任者たるべき首相が、極めて重大な事故ではあるが、原発事故だけに限定して、一企業である東京電力と国との「統合連絡本部」の本部長に就くと言う「未曾有」の出来事が起こった。 東北関東大震災および、その後の人災がまだまだ進行中ではあるが、今回の極めて甚大な災害に対して、「未曾有」という修飾語が多用されているが、そのことに極めて大きな違和感を覚える。 今回の東北関東大震災とそれに続く、様々な出来事、たとえば地震や津波の規模、原発事故などの個々の出来事は、ほぼ全て人類がすでに経験した出来事であるにも拘らず、「未曾有」の出来事として扱われている。それらの多くは、おそらく愚かな為政者・専門家・責任者たちによる、意識的な責任逃れとして利用されている。 すでに明らかになっているだけでも、極めて甚大な被害となっており、さらにその被害を大きくしつつある。こうした被害を、繰り返さないために、一凡人の私見ではあるが、思いつくままに綴ってみる。なお、この私見は東北関東大震災の被害が進行しつつある最中(3月15日)に書き始めたものが、万万が一にも、必要の無い混乱を招かないように、その掲載は本日に至った。素人の考えであるため、多くの見当違いがあるかとは思うが、この私見が専門家諸氏による、本格的な検証の、極めてささやかなキッカケになれば、と思っている。なお、掲載日(3月26日)時点で、少なからず追加・改定を加えている。 まず、今回の大震災が、決して「未曾有」の出来事ではないことを綴ってみる。そもそも、このたびの極めて甚大な被害をもたらせた、マグニチュード9.0の大地震も、決して未曾有ではなかった。【昭和35年のチリ地震(M9・5)、39年のアラスカ地震(M9・2)、平成16年のインドネシア・スマトラ沖地震(M9・1)に次いで、観測史上世界4番目の規模となる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/MSN産経ニュース:2011年3月13日) この引用記事でも明らかなように、近くは6年前にも、より大きな地震が起きていたのだ。巨大地震が未曾有でもなければ、当然その地震が引き起こした津波の規模も波高も未曾有ではなかった。さらに、現時点では原発事故も未曾有のレベルには達していない。もちろん、そうさせてはならないだろう。 ただ、未曾有を冠するなら、今回の大震災は日本の戦後においては未曾有の天災であること、原発事故も、日本においては未曾有の人災であることは、残念ながら現時点でも間違いが無いこととなっている。 何が未曾有なのか、誰が未曾有を多用するのか、そのことを冷静に見極めることが、今後起こるかもしれない大地震・大津波が未曾有ではあっても、被害だけは未曾有にしない、ひとつの保障となるだろう。(続く)エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。