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カテゴリ:日々雑記
ただいま。
3泊4日の短い帰省を無事終えて 大阪に戻って来た。 前夜に胃けいれんを起こし、(^-^;) 救急車で病院に運ばれる…という珍事 (自分にとっては大惨事)があったのだが、 なんとか薬と絶食で乗り切った。 実母には不調とだけ言っておいた。 「胃けいれんごときで救急車呼ぶな!!」と 叱られるのは確実なので、 それだけはひた隠しにしていた。 いい年しても、実家では馬鹿な末娘。 娘がときどき 「ママ、ぽんぽんイタイタイして ぴーぽーぴーぽーって行ったなぁ」と バラすので、冷や汗モノだった…。 アナドレナイ…。 激痛中、娘は「ぽんぽんなぜなぜ」してくれたり、 汗をふいてくれたり、大活躍。 いつも母がしてることをしてくれた。 「ママ、お茶のみや~」と 水筒を持って来てくれたんだけど、 なんかお茶っぽい色の布が入ってる。 「?」と思ったら、靴下だった。 「ハイありがと。ゴクゴク」って 激痛にもだえながらもノリのいい母。 そのうち、とんでもなく激しい痛みになってきて、 もうどこが痛いのかさえもわからなかった。 陣痛より痛い!!と自覚して、自分が驚いた。 脂汗を流し、悶絶し、絶叫!! 陣痛に立ち会った夫の目から見ても、 あの時よりはるかに苦しんでるのは 明らかだったようで、 「救急車呼ぶで」返事を待たなかった。 「胃けいれんくらいで救急車呼んで 申し訳ありませんでした」と言うと、 救急車の方も、ERの方も、とても親切で優しく 「これだけ痛みが強かったからしかたないよね」 「血圧がすごく下がっていたので心配しました」と 言って下さったので、少し気がラクになった。 それでも、うちの鬼母には絶対内緒だぁ!! …と思ったが。 私が2歳の時、大火傷をして、 いまでもケロイドが残っている。 その時も、火傷の痛みよりも 母に叱られるのが恐くて 「ごめんなさい、ごめんなさい」と 病院へ着くまで、 泣きながらあやまり続けたことを 鮮明に覚えている。 その時と変わってないじゃん!!アタシ!(^∀^;) その時、母はずっと黙っていたけど、 一言だけ「もういいから…」と つらそうにつぶやいた。 なんで叱られないのか不思議だったけど、 母はつらかったろうなぁ。 娘に火傷を負わせて、謝り続けられたら たまらないよねぇ。 病院で処置と検査を受け、 おおきな病気でないことがわかった。 風邪の胃炎と悪条件が重なったのだろう、 ということだった。 胃と腸の動きを抑える薬と、 鎮痛剤と、風邪薬が処方された。 点滴が終わっても まだすごく痛かったのだけど、 娘も「おうち帰りたい。ママ帰ろう」 と言い出したので、鎮痛剤を飲んで とっとと帰った。 娘には、話せるようになってすぐ アコナイトを夫に飲ませてもらった。 マンションに消防車が来た時に(誤報) 震えがとまらなくなったことがあるので。 これ以上、不安にさせたくなかった。 そのおかげか、精神的にひきずらなかったようだ。 その時はいていた母のジャージを見ると 「ママぽんぽん痛かった?」と言うくらい。 家に帰ってすぐにお風呂に直行し、 少しあたたまってから、 娘をしっかり抱いて眠った。 薬のせいでコトンと眠りに落ちた。 帰省は中止にしようかと思ったけれど、 姉も一緒だし、みんな楽しみに待ってるし、 鎮痛剤を飲んでしまうのであれば、 どこにいても同じような気がしたので、強行!! 結局、絶食したので問題なかった。 まだ本調子ではないけれど、 痛みはもうなくなった。 忘れてたけど、 胃けいれんって三回目なのよね。 22の時と、31の時と…。 ほぼ10年おきにやってくる。 31の時は、バックパック旅行中で、 なんと死海にいた時だった。 イスラエルの救急車に乗った。 その時も同じ検査をして、 同じ薬をもらったわぁ。 病名言われて、辞書を見たら 「胃酸過多」って書いてあって笑った。 しばらく友達にネタにされたわぁ。 しかし、ホメオパシーも陰陽の手当も、 とてもじゃないけど無理だったなぁ。 まだ痛みが弱い時に 夫がニールズヤードまで走ってくれたり、 梅醤番茶や大根干葉のお風呂入れてくれたけど、 こういう激しく強く早い進行の症状には、 とてもじゃないけど追いつかない。 セルフケアは無理だった。 それでも、普段は充分に役立ってくれてるし、 それはそれでヨシとして、 柔軟に対応していこうと思う。 だけど、選べるって幸せだよね。 アロパシーとホメオパシーと、 東洋医学と陰陽の手当と…、 どれもありがとう…である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 8, 2006 12:32:23 AM
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