|
カテゴリ:シュタイナー
もう半年以上も前のことなのだけど、
もうどこの主催なのかも忘れてしまったのだけど、 (ゴメンナサイ) 小林直生さんの『畏敬の念の育て方』という講演会に行ってきた。 そのメモをまとめようと思う。 ============================== 古来『畏敬の念を育てる』方法は、山へ入ることだった。 山伏の山岳修行などで、自然の偉大さを知った。 現代はせいぜい山登り?それも健康のため。 自然への敬意をはらう目的で行く人はいない。 帰国してすぐに思うことは (小林さんはドイツ在住) 日本人は音に鈍感だということ。 繁華街のあの暴力的な騒音を許せてしまえるのか。 禅の国、静けさの国はどこへやら。 静けさの中に、初めて自分との出会いがある。 自然との出会いがある。 畏敬の念のないところは、何がおこる? 暴力がおきる。 シュタイナーは言う『畏敬の念』とは? 「その対象に対して、 内的には近付きたい、一体化したいと切望しつつ、 外的には畏れおののいて、一定の距離を保つ」 「おお!! あらゆる天使はおそろしい」 ーリルケ『ドウィノの悲歌』より 「若き時に両手を合わせることができなければ 年老いた時に両手を広げ、祝福することはできない」 自我の姿勢とは、左手を拳にして、右手で握る。中心の力。 祈り=人を敬うこと。 祝福=自分の命の何分の一かを与えること 老年期=若い人をなぐさめ、祝福するのが仕事 ただそこにいるだけでなぐさめられる人になる。 老いる=魂が身体から解放され自由になり、意識が覚醒される。 14~21歳の時に、世の中に義憤(正義からくる怒り)を 感じなかった人は年をとるとボケるとシュタイナーは言っている。 「子供時代に畏敬の念を持つことは不可欠」 ーシュタイナー『子どもの教育』より 畏敬=エーテル体を正しく成長させる力 エーテル体ー『気』、生命体、リズム体、無意識 アストラル体ー『念』、意識 『超感覚』五感をもってしてもつかめないものは存在するのか? 宗教とは、感覚体験(音楽、香、儀式)に置き換えて、超感覚を予感させるもの。 神学とは、置き換えずに勉強するもの。 RE.LIGIO =神と人を再び結びつける道。 「カーマロカ(欲望の場所)に人は来る」 畏敬の念を育てると、カマロカを苦痛なく通り過ごせる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー どうやって畏敬の念を育てるのか? ●日常的に聖なる領域をつくる。 (仏壇、床の間、季節のテーブル) ●子供の前で批判的な話をしない。 ●内的なウソはつかない。 ー節操が生まれる。 ●無条件に驚く!! 「大いなる宇宙の秩序に驚きだい!!」 驚くことのマイスターと一緒にいると、 子供は模倣衝動によって、本物になってくる。 ●あらゆることを、とにかく賛美する!! 上への畏敬=生まれ育った民族の神々。 横への畏敬=兄弟たちとともに生きる。 下への畏敬=キリストは最も高次の姿が降りてきて、 一番苦しい死に方をして人々に教えた。 『畏敬の念』は、持って生まれる能力ではなく、 この世で学ぶもの、親がおしえるもの。 説得するのではなく 驚き!! 賛美する!! ことで子供たちを導く。 生まれてきたことを感謝できるように!! ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 質問/子供たちを取り巻く環境の悪さ。 商業第一主義のよくない食べ物、おもちゃ、TV番組。 賛美することの難しさ。 批判的にならずにどう生きていけば良いのか? 答え/どんなものにも人の手がかかわっている。 そういう背景を話して賛美にかえていく。 良くないこと以上に賛美の世界を大きく話す努力を。 リンゴ一個だって、ほめまくることができるはず。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 28, 2008 04:40:03 PM
[シュタイナー] カテゴリの最新記事
|
|