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2005年02月08日
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カテゴリ:戦国 北条氏
伊勢新九郎盛時(小田原北条記では長氏の表記もある)のちの北条早雲は、幼いころはどんな子だったのか?
のちの世に書かれた小田原北条記では「幼いころから野山を駆け巡り、海や川で漁を好み、馬にのり難所を越え岩石を蹴散らし疾走」し、「造父(周のひとで、善馬を穆王に献じて御者となった)に劣らぬ馬のたずなさばき」をみせ、「水泳は水神の技術に達し、黒い竜の顎の下に下がった玉をうばうこともできただろう」、「弓は、養由(楚の壮王につかえた弓の名人)を手本とし、木の上の猿をも落とした」「計略巧みで、かつ人を和やかにし、心も健全で性格は曲がっていなかった」という。少年時代、前述の法泉寺でよくあそんでいたが、その住職古潤仁泉和尚から「太平記(日本の南北朝時代の戦乱記)」を与えられ、とりわけ楠木正成に影響を受けた」という。このほか、「孫子・呉子・六韜・三略」など中国武家七書を繰り返し読んだという。「友人と遊べば城とりごっこといっては、城の縄張りを考えた」という。
こうした伝承が全部真実だとは思わないけれども、北条早雲の戦国武将の資質は子供のころの遊びや、読書に深く起因し、文武両道の人間像が形成されたと思われる。
とくに太平記の楠木正成の影響は大きかったようで、伊豆で旗揚げ・相模(神奈川県)を平定した後、金沢文庫という、いまでいう図書館から、太平記を取り寄せ足利学校に公正をいらい、京の有識者にレ点をつけてもらって愛読したという。その本は、豊臣秀吉に平定されたときに、和平交渉時に豊臣側に降服する恭順物としてさしだされたという。
後の世にみせる奇襲戦のモデルは楠木正成だったんですね

☆今日の一冊
後北条氏と領国経営
佐脇栄智著 吉川弘文館 平成九年3月10日発行
著者がいろんな場で発表してきた論文を本でまとめたもの。
とくに貫高制の考察についてはその後の北条氏研究に大きな影響をあたえたようです。
個人的には一向一揆衆との問題の考察、米をはかる枡の統一の記述などが興味をもってよんだ記事だったかな。

☆本日のリンク
いいなプリンワールド
プリン好きがあつまるぷりんぷりんなHP.
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最終更新日  2005年02月08日 07時52分18秒
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