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2005年06月04日
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昨日の続きです。久々書いてたら、間違いが^^;米沢到着時間は8時32分だったりします^^;10時32分は上杉神社についた時間かな。ちなみに米沢駅には映画「スイングガールズ」の写真があちこちに。この映画、普通の高校生がJAZZの演奏に目覚めていく話なんですが、米沢で収録されたそうですね。
で、松が岬公園へ。ここはもと米沢城があったとことなんですが、なぜに松が岬なのかとおもったんですが、豊臣秀吉が関白の時代、伊達家が仙台に移封された代わりにはいったのが蒲生氏郷がやってきたわけですが、彼は近江の国の松が崎からやてきたそうで、それでこの地がこの名前に命名されたようですね。その後に上杉家景勝公がやってくるわけですが。で、この地にある、上杉神社ですが、もともと米沢城があったが、もともと、この地の東南にあった上杉謙信公の墓が仏式で埋葬されていたのですが、明治9年廃城となったあと、上杉鷹山(ようざん)公とともに神式に合祀されたのがこの上杉神社となったそうです。2礼2拝1礼し、おまいりしたあと、上杉神社宝物殿へ。稽照殿というそうです。上杉家の家宝がこれでもかと並べられた薀蓄がつまっているところですね。入ってすぐのところに昨日説明した出陣のための武てい式のときに祭られた七星剣が飾ってありました。刀身には金色で降魔の文字が書かれ、鞘には干支12支が金色の絵でかかれいていました。
さらに進んで、謙信公の鎧、景勝公の鎧、直江兼続の鎧とならんでいるのですが、いずれもたてもの(兜の額に飾る印のようなもの、、、かな)は仏教にかかわるもので、謙信公は仏様、景勝公は満月のたてものの中に、世の平安を求めた仏教用語が書き込まれ、直江兼続さんは、有名な「愛」のたてものですね。また、謙信公は、陣屋ではほとんど鎧はきないで、胴丸に、陣笠をかぶっていたそうですが、その陣笠が一工夫がなされ、微妙に湾曲しており、飛んできた矢や鉄砲の弾が、ぐるんと巻いて、違う方向へ自然に流れるように作られているとのことで、いやはや、よくできてますね^^。いろいろみつつさらに奥へ。奥の部屋の最初には陣羽織が何着か飾られています。陣羽織は基本的に鎧の上に羽織るもので、戦国時代にはやりだしたものらしいですね。謙信公のものが何着か飾られてるんですが、真っ赤な陣羽織、そして、紫雲の刺繍が全面にはいった、紫~白の陣羽織など、ほんとおしゃれなものばかり^^。謙信公っておしゃれなんですね~って思いました。
さらに印章が10個並べられいました。謙信公はそれらの印章をつかいわけていたそうです。永禄9年2月に上杉謙信公がその使用方法を指示されているそうで、「摩利支天・立願勝軍地蔵」の印章は表向きの用事につかい、「宝在天」の印章は隠密の指示に「梅」の印章は所帯にかかわる印、「弁財天」の印章は願望成就を期待するときにもちいていたそうです。普段着なども飾られれてあったりしながら順に見ていくと上杉謙信公が使われた「軍配」が。。。黒字に赤い日の丸の印が入っているのですが、その脇に謙信公直筆で必勝祈願の降魔の文字が8行にわたってびっしりかかれてます。軍神といわれるそのまんまといった感じですね。あと、第5回川中島(有名な一騎打ちのあった4回目のあと)出陣前に、武田信玄の悪行を8か条に書き連ねた起請文があり、8か条のうち、7か条までが、仏・神の関係物の破壊、それらの戒めを破るような行為についてなじる文が連ねてあり、信心深さ?がしのばれます。とまあ、入り口ではそうぞうできないほどのいろんなものがつまった宝物殿でした。(さらにつづく)





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最終更新日  2005年06月05日 07時02分02秒
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