|
カテゴリ:小栗街道
ずいぶんサボっていた小栗街道歩き。
前回の「小栗街道その8」が昨年の10月初旬アップなので、一年以上後無沙汰だが、 府立佐野高校から少しだけは、3月の震災直後に歩いてる。 その日は季節はずれの吹雪のようになり、途中でギブアップ。 大正大橋という交差点でタクシーを呼び出し、南海本線泉佐野駅に戻った。 タクシーの運転手さんが、 「今日は寒いですな~ でもこんなんで寒い言ってたらバチあたるわ。 東北の人のこと考えたら、どんな寒さでもたいしたことない。我慢せな。」 と言ってたのを覚えている。 距離が短かったので、3月と10月の2回分をあわせて「小栗街道その9」とすることにした。 府立佐野高校前からスタート しばらく行くと、関西空港自動車道の高架下を通る。 関空開港前日(もう17年前)このあたりで検問にあって、後部トランクの中をチェックされたことがある。 大阪府警の警官はソフトタッチでフレンドリー。 検問でも、「忙しいのにすみません、ちょっとトランク見せてくれます?」とあくまでにこやか。 そういうのが普通だと思っていたので、警視庁と千葉県警の警官の上から目線に驚いたことあり。 でもねぇ~ 大阪府警は怒らせるととたんに黒バージョンに変身すると有名だけどね 泉南名物玉ねぎ小屋 何もない・・・ 歩いているのがただ忍耐になってきたような景色。 狭い旧道らしい道になると、立て札のあるいわれのありそうなお墓。 塙団右ヱ門の墓 誰ですか? 塙団右ヱ門さんって。 そのすぐ先にあった 淡輪六郎兵衛の宝匡印塔 誰さ? 淡輪六郎兵衛さんって。 お二人共、大阪夏の陣で豊臣方について、このあたりで戦死した人。 ここらへんは樫井という地名で、大阪夏の陣の前哨戦、樫井古戦場という場所で、 徳川方の紀州浅野勢と豊臣方が激戦を繰り広げ、豊臣方が惨敗した場所だそうだ。 こんな南でも戦っていたとは知らなかった。 そういえば大河の「江」はどこあたりまで進んだのかしら。 もう夏の陣まで行ったかな? ここらで雪が強くなり、大阪の3月とは思えない状態になってきて、 大正大橋という交差点ギブアーップ! この日歩いた距離は3.8km。 (10月編) 3月にギブアップした大正大橋交差点から歩き始めた。 泉佐野市の主な産業は、繊維産業、タオルです。 タオルといえば愛媛の今治、今治は全国シェア60%以上、泉佐野を含む泉南地区は20%ぐらいだそうだ。 タオル製造発祥の地は泉佐野で、今治で製造の始まる7年前の明治20年(1887年)にタオル製織に成功し、国内タオル生産が開始されたそうだ。 大正大橋からすぐの所では、シャン・シャン・シャンという織機の音が聞こえてた。 今治同様、中国産におされて大変なようだが、今も頑張っているようだ。 タオル工場を過ぎると、泉佐野市から泉南市に入る。 海会寺跡という「法隆寺式伽藍配置」を持つ古代仏教寺院跡の前を通った。 入ろうかと思ったが、人がいなさそうで静かだったのでパス。 その前には古代史博物館というお金のかかってそうな立派な施設があったが、その駐車場も1台も車がいない。 土曜は隔週と日曜は休館だって。 泉南市はもうちょっと考えたほうがいいんでないかい? そこを過ぎると、旧街道らしい道になった。 あら ここ立派なお宅ね! と思ったら、信達宿本陣跡だった。 紀州街道信達宿角谷本陣で、現在も角谷さんが住んでいらっしゃるので非公開。 特別公開されることもあるようだ。 旧街道らしい落ち着いた通りで、歩いていても苦にならない。 この日はもう少し歩こうと思っていたが、雨足が強くなってきたのでJR和泉砂川駅付近で終了。 歩いた距離は3.1km。 予定では、あと1回で自分で決めた最終ゴール地点のJR山中渓駅まで行けるはず。 でも最後は長い上り道になりそうなので、2回になるかもなぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[小栗街道] カテゴリの最新記事
|