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ハイネの森

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2024.02.16
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住の江の 岸による波 よるさへや
         夢のかよひ路 人目よくらむ
                   藤原敏行朝臣


やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて
         傾くまでの 月を見しかな
                   赤染衛門


思ひわび さても命は あるものを
         憂きに堪へぬは 涙なりけり
                    道因法師


18番 藤原敏行朝臣、59番 赤染衛門、82番 道因法師の歌。


18番の藤原敏行は平安時代前期の貴族。書に長けていて、小野道風が空海と並ぶほどの能書家と言ったほど。

「住の江」とは現在の大阪市住吉区あたりの海岸。
住之江区という地名があるが、住之江区はほとんどが埋め立て地で、昔の海岸線は現在の住吉大社付近だったらしい。

その住吉大社


地元の人間は「すみよっさん」と親しみをこめて呼ぶ。
すみよっさんといえばこれがシンボル。


紅い反橋(太鼓橋)だ。

近くには川端康成の小説「反橋」の碑もある。
住吉大社

   反橋は、上るよりもおりる方が、こはいものです。
   私は母に抱かれておりました。
              川端康成「反橋」より


本殿は第一本宮から第四本宮の4棟からなっており、現在の建物は1810年(文化7年)の建造で、
いずれも国宝の指定をうけている。
建築様式は「住吉造」。


住吉大社のHPによると住吉大神の御鎮座から1800年。
年表の700年代以降はともかく、古代期に関してはちょっと「?」だが、歴史が古いことには間違いはなく、昔から多くの人がお参りに訪れていた。

59番の赤染衛門は平安時代中期の歌人で、藤原道長の正室 源倫子とその娘 中宮彰子に仕えている。
息子の挙周は、道長と倫子の力で和泉守に任ぜられ、赤染衛門は息子に同行したそうだ。ということは、赤染衛門さんはJR和泉府中駅の近くにいらっしゃったということね。親しみを感じるわ。
その息子の病気平癒を願って住吉大社に、
「代はらむと 祈る命は をしからで さてもわかれむ ことぞ悲しき」という歌を奉納し、その甲斐あってか息子は快癒したそうだ。

82番道因法師は平安時代後期の貴族で出家前の名は藤原敦頼という。
1172年80歳の頃に出家し道因と名乗った。
よい歌を詠ませてほしいと、毎月住吉大社に参詣していたそうだ。



昔は反橋のあたりまで波がきていたようで、航海安全の神として遣唐使派遣の際にも重要な役割があったようだ。
その為か4つの本殿は全て大阪湾側を向いている。

海に関するものは多く、敷地内にある摂社にもそれはあらわれている。

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左  大海神社(重要文化財)
右  船玉神社
船玉神社は船や飛行機の安全を守る神様として、海外渡航前の人がお参りすることが多い。

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左 石舞台(重要文化財)
右 御田 (6月14日に行われる御田植神事は重要無形民俗文化財)


鳥居の前の道には阪堺電車が走っている。



1928年(昭和3年)から活躍しているモ161と石燈籠。

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すみよっさんには石灯籠がたくさんある。
約600あまりの大小の石灯籠があり、当時は海上守護の祈願をこめて寄進したものが多く、
広告塔の意味合いもあった。

この参道の松並木に、往年の波打ち際の景色の面影を見たように感じた。



住吉大社
大阪市住吉区住吉2丁目9−89





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Last updated  2024.02.16 12:00:12
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