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2024.08.09
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大江山 いく野の道の 遠ければ
     まだふみもみず 天の橋立
             小式部内侍


百人一首60番、小式部内侍の歌。
小式部内侍(1000年頃~1025)は56番作者の和泉式部の娘で、母と共に中宮彰子に女房として仕えている。

優れた歌を詠む歌人だったが、残念ながら20代で早逝している。

この歌には、母の和泉式部に代作してもらっている噂があった小式部内侍を、64番作者の藤原定頼(藤原公任の長男)がそのネタでからかった時に、小式部内侍が噂を否定する優れた歌をその場で詠んだというエピソードがある。
母の和泉式部はその時は夫と共に丹後国にいたそうだ。

大江山と天橋立とあるので、京都府北部にある鬼で有名な大江山かと思っていたが、それは違っていて、京都市西京区から亀岡に向かう途中にある「大枝山」のことだった。

大枝山

(京都市西京区大枝沓掛町にて)

道路は京都から山陰地方に向かう国道9号線。

大枝山は都の西の端、この山を過ぎるといよいよ都の外に出て行く気分になるのだろう。


歌合の場で定頼に、「お母ちゃんの和泉式部は丹後にいるのに、あなた歌は大丈夫?」と皮肉られ、「わたしは都の端の大枝山までも行ってない」と、そこに掛け言葉もちりばめた見事な歌を詠んで定頼をやり込めた。

うら若き小式部内侍が、ちょっと年上で身分も上の嫌味な男をやっつけたという、あっぱれ気分爽快な歌だ。

長生きしていたら素晴らしい歌をもっとたくさん残したことだろう。





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Last updated  2024.08.09 12:00:29
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