伊東甲子太郎・藤堂平助ら御陵衛士の墓―戒光寺
新撰組をめぐる旅の2回目は、戒光寺の墓地周辺~京都国立博物館~島原~西本願寺~天満屋事件跡地~油少路の変跡地~不動堂屯所跡のコースを歩きました。 今日は、御陵衛士の墓がある戒光寺の墓地をご紹介。 油少路で殺された伊東甲子太郎、藤堂平助、服部武雄、毛内有之助は新撰組によって光縁寺に埋葬さましたが、明治元年に戒光寺の墓地に改葬されました。 戒光寺は、泉涌寺の敷地内にある小寺。 泉涌寺は日本で唯一の天皇の菩提寺です。 伊東らは戒光寺の長老を介して、孝明天皇のお墓を守る為に御陵衛士となりました。 明治元年、戒光寺への改葬は、御陵衛士の同士が200人余りを使い、盛大に行われています。 大正7年に朝廷は特に伊東の勤皇事績に対して追賞し、従五位を贈られました。 また、昭和4年には国事のために一身を国家に捧げた者の列に加えられ、靖国神社に合祀されています。 会津藩に新撰組を脱退したいと嘆願し、藩邸で自害した茨木司、中村五郎ら4名も伊東らと共に、光縁寺から戒光寺に改葬されています。 左の小道の奥に御陵衛士の墓があります。右に見えるのは、即成院というお寺。 今回は油少路の変の跡地に行くので、一番最初に御陵衛士のお墓に行きました。 伊東を真ん中に、油少路で亡くなった四人のお墓が並んでいました。参考資料:新選組読本