どうしてだろう?
この世の中には疑問点がたくさんあります。まず第一に、どうして年齢、死、生という概念が存在するのでしょうか。僕の仮説は、時代の新陳代謝です。古きものを捨て、新しきを得る、という自然界の鉄則です。例えば、樹木、特に落葉樹ですが、落ち葉、というものがあります。これは、古くなった葉を捨て、新しき新緑を得る、という全くの理念通りの動き、といえます。しかし、この落ち葉が舞う減少自体を落ち葉の死、と考えることについては幾分か無理が生じます。なぜなら、落ち葉には血がないからです。人間は血が絶えず流れています。いわば、この血液の循環は体内に酸素を運ぶという動きではなく、むしろ生きることそのものだと僕は考えています。血液が流れない=死です。なぜなら、体の中に絶えず動きが必要だから。生きるも死ぬもその人の考え次第です。生、という概念は、むしろそのものの存在、有無を表示するものではなく、端的にそのものの性質を指し示す一種の形容的な動きであり、呼吸、循環、といった活動の有無ではなく、大雑把に言うとそのものの本質的な役割を果たそうとする一種の責任意識、もしくはそれに類する目的意識、及び探究心であると考えています。というのは、ただ生きる、ということに意味は無いわけではない、ということです。難しい話なので、後にしますね。