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カテゴリ:タイガース背番号史
背番号26(その7) 背番号26の最終回です 残すところ4名となりました 今回で一気に紹介しますね このところ「26」は目立たない番号になってしまってるよね 活躍する選手が出てないのよ 今年から背負ってる椎葉投手には頑張ってほしいんだけどね・・・ 歳内宏明 投手 地元兵庫県尼崎市出身で宝塚ボーイズ時代に才能が認められ、高校は福島県の聖光学院へ野球留学する。(同校では後輩に湯浅京己がいる) 高校では1年生からベンチ入りしており、2年の夏にはエースとして甲子園に出場し、2回戦で有原航平(広陵)に1-0で投げ勝つなどチームをベスト8へ導いた。 3年になる直前の2011(平成23)年3月11日に起きた東日本大震災では学校が大被害を受け、練習グランドもなくなる中、復興のボランティアをしながら練習を続け夏の甲子園に出場を決める。 大会では2回戦で敗れたが、2年時に習得したスプリットが冴えわたって、2試合で30奪三振の数字を残すことでドラフト上位が決定的となった。 2011年のドラフト会議ではタイガースの2位指名を受けて入団が決まり、背番号「26」を着けることになる。 ルーキーイヤーの2012(平成24)年は8月までファームにいたが、ウェスタンで4勝2敗、防御率2.32を記録し9月に1軍登録される。9月2日の広島戦でプロ初先発を果たしたもののすぐに腰痛により抹消、登板は1試合のみで勝敗も付かなかった。 2年目の2013(平成25)年には4月に1軍に呼ばれリリーフとして5試合に登板したが、ホームラン3本を許すなど結果が残せず、4月末に抹消されてそのままファームでシーズンを終えている。 2014(平成26)年は沖縄の1軍キャンプに抜擢され7月にはプロ初勝利を記録するなど13試合(先発3)に登板して1勝3敗。防御率は6.75だったが、24回を投げて25奪三振が示すように150キロのストレートを見せ球にしてスプリットで勝負する投球が確立されてきて、翌年への期待が高まった。 2015(平成27)年、飛躍の年にしたかったが春季キャンプで肩を痛め、その回復に時間がかかり、1軍に登録されたのは6月14日。そこからすべてリリーフで29試合に登板している。防御率は2.62と好かったが、実際は肩を痛めたことでストレートの伸びがなくなり、34回1/3で23奪三振と数字は物足りない。逆に制球は悪くなってフォアボールが増えている。 右肩故障の影響は「違和感」としてその後も消えることがなく 2016年(平成28)年の9試合を最後に、タイガースでは2017(平成29)年、2018(平成30)年と1軍の登板機会は失われ、2019(令和元)年のオフに戦力外となる。 退団後、四国アイランドリーグの香川オリーブガイナーズへの入団が決まったが2020(令和2)年はコロナ感染拡大によりほとんど登板機会がなかった。 2022(令和4)年からタイガースの球団職員としてタイガースアカデミーで少年たちを指導している。 通算成績は64試合3勝6敗4ホールド、114回を投げて59四球76奪三振で防御率4.18である。 呂彦青(ルー・イェンチン) 投手 中華民国(台湾)高雄市出身。2015(平成27)年のWBCプレミア12、2016(平成28)年のU―23ワールドカップ、2017(平成29)年のアジア選手権など台湾代表チームで活躍し注目が高まる。 2018(平成30)年、タイガースへ入団し、退団した歳内のつけていた「26」を継承する。 150キロのストレートを持つ左投手ということで期待されたが、公式発表では175センチ65キロ。体格的にプロの投手としてどうなのかという声もあり、1年目はウェスタンで12試合に登板し2勝3敗1セーブ、防御率4.31という数字だった。 2年目3年目も1軍に上がる気配すらなく、2020(令和2)年12月に自由契約となり退団した。 台湾に戻り、2024年現在は中信兄弟でプレーしている。 北條史也 内野手 背番号2で紹介済みだが先代の記述は入団4年目だったため その後の内容を加えて全面的に改めて掲載する 大阪府堺市出身。高校は青森県の光星学院へ野球留学している。2年夏に甲子園に出ると4番・遊撃手として準優勝。続く3年の春・夏とも甲子園に進んでいるが、いずれも決勝でエース藤浪晋太郎のいた大阪桐蔭と当たって敗れ3季連続の準優勝だった。 北條は3年の夏の大会で4本塁打を記録するなど高校通算25本のスラッガーとしてドラフト注目の一人になっている。 2012(平成24)年のドラフト会議では1位藤浪に続き2位でタイガースから指名されて入団、引退した城島健司が着けていた背番号「2」を継承した。 当時の1軍では鳥谷敬がショートのポジションを堅持しており、北條はルーキーから2年間は1軍出場は無くファームで育てられている。 3年目の2015(平成27)年5月28日に初めて1軍登録され、同日の東北楽天戦に代打でファウルフライに倒れると、翌日抹消されて結局この1打席のみでシーズンを終えている。 4年目の2016(平成28)年になると1軍キャンプを経て開幕から1軍登録される。当初は代打から始まり、徐々にセカンドやサードを守ってスタメン起用が増えていく。7月に入ると開幕から不振が続く鳥谷がスタメンを外れるようになり、ショートのポジションに抜擢されると8月には月間打率.311を記録して定着していく。 鳥谷がスタメンに復帰しても、北條がショートで鳥谷がサードという状況になり、実力でショートスタメンをつかみ取った。 結局1年間1軍登録を抹消されることなく122試合に出場、惜しくも規定打席には到達できなかったが385打数105安打33打点5本塁打、打率.275という数字を残し、レギュラーへ上り詰めていくだろうとファンは次のシーズンに大きな期待を抱いた。 ところが2017(平成29)年はオープン戦から打撃不振が続き、シーズンに入っても遊撃への復帰を目指す鳥谷や大和との激しいポジション争いの中で打率.210に終わっている。83試合出場で71試合にショートを守っているがレギュラーからは大きく退いてしまった。 2018(平成30)年から2022(令和4)年までの5年間は、62試合→82試合→40試合→33試合→32試合というように、徐々にファームにいる期間のほうが長くなっていく。この間の2021(令和3)年には背番号「2」を梅野隆太郎に譲って「26」に変更したが効果は無かった。 2023(令和5)年、岡田監督が就任すると全く1軍に呼ばれず、オフに戦力外を通告されてしまう。他球団からのオファーを待ったが声がかからず、社会人の三菱重工WESTへ入団することになった。2024(令和6)年は都市対抗本戦に駒を進めベスト8になっている。 プロ通算成績は455試合1210打数308安打113打点18本塁打、118四球245三振、打率.255だった。 椎葉 剛 投手 大坂府堺市出身で高校は長崎県の島原中央。3年春までは主に捕手としての出場が多く、その後本格的に投手となる。 高校卒業後ミキハウスに入社し、投手としてプレーするも在籍3年間で公式戦には1試合しか登板していない。ミキハウスを退社し2023(令和5)年に四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスに入団し、本格的にウェートトレに励んだところストレートの球速が150キロを超えるようになる。 同年9月には159キロを計測して一躍ドラフト上位候補となり、10月のドラフト会議でタイガースから2位で指名されて入団が決まる。背番号「26」。 2024(令和6)年、プロ入りすると壁に当たり、球速も出なくなって「プロでは多少甘く入ったときは全部打たれる。去年まではファウルを取れていたのに、それが取れない。ストレートの速さも強さも求められる」と出直しとなった。 7月にはフレッシュオールスターに選ばれるなど、少しずつプロの調整方法なども身について成長の兆しはある。 まとめ 歳内さんは先代のお気に入りの投手だったようだけど肩の具合が治らず惜しいところで終わっちゃいました スプリットは一級品だったらしいね でも故障というのは恐ろしいわ 人生が変わっちゃうからね 北條さんは藤浪さんと同期でレギュラーを期待されていたんだよね 実際に衰え始めた鳥谷さんと入れ替わりでショートのポジションを取りそうなときもあったんだよ でもその後少し干された感じになって 岡田監督が就任したころから戦力とみなされてなかった感じ 残念ね ルー・イェンチン投手は見たこともないよ ちょうどコロナが猛威を振るってたころで 2代目もファームの試合すら観に行ってなかったのよ なので評価のし様がありません 椎葉投手は剛腕タイプの触れ込みだったけど ルーキーの1年間は好いとこを見せられなかった これからよね
ということで背番号「26」はこれで終わりです 最後までお付き合いいただいた皆さん ありがとう 結局この番号で「大物」とまで呼べそうな選手は出ていないよね 椎葉さんへ期待しましょう! 背番号27につづく
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