断捨離活動
毎年連休は大掃除が行事の我が家。いつもワックスをかけたり粗大ごみを集めたりする。今年もそんな流れになるのかと思っていたらどうやら新たなコロナとともに、の生活に方向転換してきたようだ。というのも、3月の地震は我が家はさらに防災を考えるできごとになった。普段からの断捨離に加えて、一層、安全第一の目線になった。我が家は、私の医療ケアデビューの退院に合わせて病院の近くに介護リフォームした家に引っ越した。大型車いすや二人ケアの入浴などの快適在宅20年。病院も自宅も両方我が家のありがたい生活のおかげで私も元気をもらったというもの。目に見える場所に入院しても弟の不安を大きくせず、地域のみなさんにもたくさん助けていただいての現在だと思う。そろそろ親も終活に入り、私も健康をどれくらい維持できるかのステージに入ってみると我が家も最後のもうひとふんばりである。みんなでこれからのことを話し合うようになった。するとすかさず、あれこれ調べてうんちくを語るのが母である。人生の片付け極意とか、禅の境地でものに向き合うとか、ブッタの教えで執着を手放すとか、毎朝何かしらの講話が始まる。ためになるときもあるけど、やややかましいこともある。教え好きはなおらない。それに対して父は、大好きな趣味の本を片付けられないようにしょっちゅう抵抗している。父の部屋はだいぶ散らかっているようで、母はいちいちぼやいているが本人にしては機能的に片付いているらしい。そこで、自分のパーソナルスペースを決めて、そこに対しては口出ししないというルールを決めたようだ。しかし、それでも、開かずの間、というわけにいかないので偉人のうんちくで考え方を変えようと作戦変更なのだろう。祖父はなにもかもためこむ人で、震災の時、あふれたものが崩れてドアが開かず避難できなかったそうだ。というわけで、今年の断捨離作戦は進む。家の中にはなくても困らないものが多いようだ。家を冷蔵庫に例えたら、旬をすぎたお刺身を大切にとっておきますか?というわけらしい。私の優先順位は何だろうと考えてみる。何をおいてもいのち。命、呼吸、すなわち電気である!私のものも、これ、どうする?とやたらときいてくる。以前は大好きだったものも絶対勝手に捨てるな!と怒っていたけれど冷蔵庫理論に触れてみると、そろそろ卒業できるな、と思うから不思議。いのちを守ってくれたね、お世話になりました、ありがとう、と手放している。大切にしているものと向き合うのは自分だ。東北の浸水地域予想ががまた拡大してますます防災の意識は高まっている。けれど振り回されると不安ばかりに覆われる。自分がこれからどんなふうに生きていきたいかを考えると大切なものを選んで、気持ちよく、楽しく暮らしていきたいかな。と改めて物の視点から思うこうこの頃でした。そうやって見る今年のクレマチスがなんだかすごくすがすがしく美しい。かも。