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2005年07月17日
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カテゴリ:喫茶「話倶話倶」
私の愛読書『鬼平犯科帳』は、読み物としての面白さはもちろんのこと、うまそうな食べ物がたくさん登場する。季節季節に出まわる旬のものが、素材を生かした様々な料理になって出てくるのだ。江戸時代、もちろん冷蔵庫などあるわけもなく、獲れたてを即食べるのがあたり前の時代だ。新鮮なことはいうまでもなく、調理にも工夫があって、木村忠吾ではないが、「もう、たまらん」ということになる。
当時は、値段も安く庶民の食べ物とされていたものが、現代では高価になって、私達が気軽に食べられなくなったものがあり、またその逆もあって面白い。
四季のある日本に生まれたことを感謝したくなるような料理の数々、当時の生活の様子などもうかがうことができ、一つの料理本ができるのじゃないかと思うほどだ。私がぜひにも食べてみたいと思った「鬼平犯科帳のうまいものリスト」、少しずつだけれど、紹介していこうと思う。


【軍鶏の臓物鍋(シャモのもつなべ)】
 新鮮な臓物を、初夏のころから出まわる新牛蒡のササガキといっしょに、出汁で煮ながら食べる。熱いのを、ふうふういいながら汗をぬぐいぬぐい食べるのは、夏の快味であった。
「うう……こいつはどうも、たまらなく、もったいない」
 次郎吉、大よろこびであった。
 三次郎も、やがてあがって来て、次郎吉や左馬之助から、あらためて、宗円坊終焉の様子をきいた。
 
       鬼平犯科帳『明神の次郎吉』より 

なんといってもナンバーワンはこの軍鶏の臓物鍋である。鬼平犯科帳ファンにとっては特別な店である「五鉄(ごてつ)」の看板料理だ。無頼の限りをつくしていた頃の若かりし平蔵が、入り浸っていた店である。ここの主である三次郎は、料理の腕はもちろんだが、密偵として簡単な尾行などもこなす。『白い粉』をはじめ、登場の機会は格段に多い。
さて、話を軍鶏鍋に戻そう。軍鶏は生まれつき闘争本能を備えているためか、引きしまった肉をもつ。配合飼料で無理矢理太らされているブロイラーとは、歯ごたえも味もまったくちがうようだ。
鶏のモツは、牛や豚などとちがって、下拵えも面倒がない。割下さえつくっておけば、手軽においしいモツ鍋にありつける。
 ◎基本の割下 酒1・味醂1・醤油2・出汁4
この割下を自分の好みに合わせて量を調節し用意しておく。たっぷりと新牛蒡のササガキを入れ、軍鶏のモツをぶちこんで(失礼^^;)、ふうふういいながら汗だくになって食べよう。三次郎が板場から優しい目を向けてくれるだろう。

【鯉料理】
 弁天社・境内の「平富」の奥座敷で、相模の彦十は網虫の久六と向い合っていた。...(中略)
 この「平富」は川魚料理で知られている。
 先ず、そぎとった鯉の皮の酢の物、同じく鯉の肋肉(あばらにく)をたたいて団子にし、これを焙ったものへとろみのついた熱い甘酢をたっぷりとかけまわした一皿など、めずらしい料理が出たものだから相模の彦十は、
「へへえ...おらぁ、もう三十何年も、本所を巣にしていながら、この店の名物は耳に聞いてはいても、こんなにうめえとは知らなかった。こいつは、ぜひとも銕...」
 銕つぁんに知らせなくちゃぁならねえ、といいかけた彦十、あわてて口を噤んだ。
       
       鬼平犯科帳『むかしなじみ』より

 生簀からひきあげたばかりの鯉を洗いにした、その鯉のうす紅色の、ひきしまったそぎ身が平蔵の歯へ冷たくしみわたった。
「むむ...」
 あまりのうまさに長谷川平蔵は、おもわず舌つづみをうち、
「これは、よい」
 すると、おなじ緋毛氈を敷いた腰かけにいる木村忠吾が、
「まるで、極楽でございますな」
 などと、妙に年よりじみたことをいうのが平蔵にはおかしかった。

       鬼平犯科帳『兇剣』より

 鯉の洗いは、平蔵の大好物だ。おのずと鯉料理がよく登場する。わけても、「鯉の肋肉(あばらにく)をたたいて団子にし、これを焙ったものへとろみのついた熱い甘酢をたっぷりとかけまわした一皿」は、ヨダレが出そうなほど美味しそうだ。こんな手のこんだ料理は、当時はもちろん、現代でもちょっとした料理屋さんにでも行かなければ味わえないだろう。
 他にも「鯉の皮と素麺の酢の物」「雄鯉の胆の煮付け」「鯉の塩焼き」「鯉の味噌煮」などなど、そんなに調理法があるのかと思うほどに出てくる。
 ことに「鯉の塩焼き」は、「五鉄」の三次郎おすすめのものだ。「あんまりのむと、こんなうめえものが腹へ入りません。ですからすこしずつ...」ととっておきの酒を出されても、こんなセリフが出てくるくらいうまいらしい。

【鰻のかば焼き】
 尾行をしながら辰蔵は、鰻屋「喜田川」のことをおもい浮かべていた...(中略)
 辰蔵が子供のころは、鰻なぞ丸焼きにしたやつへ山椒味噌をぬったり豆油をつけたりして食べさせたもので、江戸市中でも、ごく下等な食物とされていたものだ。とても市中の目ぬきの場所に店をかまえて商売ができる代物ではなかったのである。
 それが近年、鰻を丸のままでなく、背開きにして食べよいように切ったのへ串を打ち、これを蒸銅壺(むしどうこ)にならべて蒸し、あぶらをぬいてやわらかくしたのを今度はタレをつけて焼きあげるという、手のこんだ料理になった。これをよい器へもって小ぎれいに食べさせる。
「鰻というものが、こんなにおいしいものとは知らなかった...」
 いったん口にすると、後をひいてたまらなくなる。客がたちまち増え、したがって鰻屋の格もあがり、江戸市中にたちまち、鰻屋が増えたのだ。

      鬼平犯科帳『泥鰌の和助始末』より

 思わず引用が長くなってしまったが、鬼平の時代に鰻の食べ方に変化が出てきた様子がわかる一節だ。現在の鰻の食し方の原型が、ここにできあがったようだ。丸焼きにしていた頃にも、山椒が使われていたのが面白い。よほど、鰻と山椒は相性がいいらしい。
 辰蔵は、平蔵の長男である。何とか小遣いをせびっては、悪友と岡場所に遊びにでかけるような青年だが、最近では剣術にも力を入れているようだ。時には、平蔵のお役目を手伝うこともあるが、今一つ頼りがない。母の久栄にしてみれば、唯一の心配の種だ。
 鰻の話だった。丸焼きにして食べていた頃には、今のような高級感はまったくなかった鰻。今では、家庭でさばいて食べることはほとんどない。年中食べられるほど安価でもない。今年も土用の丑の日が近づいている。誰も彼もが鰻、鰻と騒ぐこの日、せいぜい精をつけさせてもらおう。


          参考:『池波正太郎 鬼平料理帳』 佐藤隆介編 文春文庫


       





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最終更新日  2005年07月17日 21時51分50秒
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