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2007.02.24
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カテゴリ:仕事について
最近は、商社マンの立場も板についてきたのかな。
何でも「見える化」とか、物的証拠とか、
そうゆう「目に見えるもの」に価値を置く世界で仕事をしている。
商社マンは「仕入れ先」と「お客」との間に立って仕事をするものなので、常に人づての人づてで仕事が進んだりしてる。
まあ、いわゆる伝言ゲームの世界だな^^;

だから言った言わないのトラブルもかなり多いので、大事な場面では、口頭での約束の取り交わしでなくて、データとか書面
での約束が重要になってくる。

唯物論に価値が置かれるのはそうゆうことなのか~って最近よく思う。

法律の世界も同じだね。

そして、それが世間一般の価値観として通用してるんだよねえ。。。


ビジネスの世界は合理の世界であり、
可視的なものに価値が置かれ、
それ故ノエマ的なものが主題化される世界であり、
唯物論的思考が意識の形式である世界である。

でもふと気がつくと、現実、人のことを経済のシステムとして、法のシステムとして処理し、裁いている事に気づく。もちろんそんな自分もシステムとしてのみの主体になっているんだろう。
いわゆる主体性の喪失というのはこのことを指すんだろう。

目に見えるものに価値が置かれがちなこの世界であるからこそ、かえって目に見えないものへの価値忘れずに仕事をしていきたい。

そういえば、
星野道夫もそんなこと言っていたな。。。


ところで、意識とは言葉ではとらえきれない矛盾と無(無限)を含むものであるという思想が僕の中にある。

でも人の心や意識が無限であるとして、それについて語ろうとするのなら、そこには無限の述語を要するはずだ。
そこで確定記述が可能となり、このような経済の世界や、法の世界における価値観がメジャーとなるのは何でなんだろうな。。。

漠然としたものを、具体的なシステムとして捕らえなおすことはとても重要なことだ。
まあ、言語というものは本来そゆう意識の働きから成立したんだろうしね。
もちろん哲学の立場も、漠然とした現実を現実の外の立場から見つめ直し、整理しようとする働きだ。
現実にいながら、現実全体を包み込む意識の立場は現実を抽象化する。
例えば手帳は生活の像である。
経験の像は言語。
現在の像は未来。
(ベルグソンだと)時間の像は空間。

人が、自らの人生を考えるとき、その人生を一般化した像の中へ入れ込む。

そんな意識の働きを最近よく疑問に思う。





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Last updated  2007.02.25 01:24:00
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