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カテゴリ:仕事について
今の僕の生活の3分の1以上を占める、仕事の世界は、商人の世界だ。
ソロバンを弾いて、値切り交渉をする商人のイメージ。 ドラクエで言うところのトルネコ。 業界はFA(ファクトリーオートメーション)だが、商社である以上僕らの世界はそんな商人のイメージなのだろう。 時代の進歩には敏感になる。 情報へのアンテナの張り方も変わってくる。 自然、新聞の読み方、ニュースの見方が自ずと変わってくる。 日経工業新聞だとか、テレビ東京のニュースだとかをよく見るようになったし。 物を見るということが、主体が対象を受動的に受け取るだけではなくて、対象の意味を主体の側が構成・付与することでもある、と最近つくづく思う。 お客と接する上で、ネタを得るため、情報獲得の為の視界が自分の中に確実に構成されつつある。 要は、自然とそうゆうアンテナのチャンネルが設定されてしまうのである。 お客との関係は、その根底にあるのは経済的な意味での利害関係の一致であるのだが、それを超えて仲良くなった気になってしまうお客さんもいる。 でも、需要と供給、組織と組織、商人とお客というような間柄は、どこまで仲良くなっても付いてまわる根本的な間柄である。 自分に頼ってくるお客に対し、この人の役に立ちたいって場面もあれば、競合商社に相見積もりを取られ、その件名を取った取られたというシビアな場面もある。 このような間柄を背景にして人と出会うことは、なんだかリアリティがない。 そこで戦略的に、好意的に、心理学的に、コミュニケーション学的に、人に対峙することは、まるっきりゲームをしているような感覚である。多分「どうすればこの客から利益を得られるか」という意志が根底に付いて回るから。 営業マンのことを「プレイヤー」と呼ぶこともある。 ビジネスの世界の人間関係に、どこか薄っぺらい感じするのはその為かもしれない。 できる営業マン(商人)はその人間関係を把握し、コントロールできる人のことだ。 仕事の上では、自分ができる営業にならなきゃいけないのはこの組織から要求される命題の一つだ。 でも、自分の理想像とは一致はしない。会社の要求するイメージに自分の立ち回りのイメージを合わせる必要は、必ずしもない。 そのイメージだけで生きていく人生はあまりにも貧相だ。 人間の意識は種々の意志のラインが複合的に、総合的に絡み合って、一つの現実世界を構成するのだと思う。 自分の意志のラインってなんだろうか? 例えば、仕事をしていて、どうすれば数字を伸ばせるかという意志は、確かに強く働いている。 でも 弓の腕前が上手くなりたい。 この視界から開けている世界の真相を知りたい。 利害という観念を超えて人の役に立っていきたい。 この人と一緒にいて、多くの幸福感を味わいたい。 確かな自分を見つけたい。 という意志の方が今の自分には強く働いている。 意志という複合的なラインが、この唯一つの意識の野に、様々走り飛び交う。この現実を問題にして、この現実を生きていきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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