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「Life」を求めて

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2010.05.08
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カテゴリ:仕事について
四月矢数集計

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一月 矢数集計 【164射 105中 6.4割】
二月 矢数集計 【236射 155中 6.6割】
三月 矢数集計 【4射 1中 2.5割】
四月 矢数集計 【221射 128中 5.8割】
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四月より近所の禅寺に参禅を始める。
毎週日曜の朝5時前に妻子が寝てる間に家を出て寺に行き、境内を掃除。
6時より坐禅。
線香が一本燃え尽きるまで。
約40分。
木の様にじっとするのだが、次第に動かない中に動く範囲が明確となる。呼吸、横隔膜など体の内側の筋肉の稼動が気になってしまう。
身体の稼動範囲が狭まると同時に拡大される内側の思惟性。
ただそこに自然と在るという事の難しさがある。
やはり植物の様には上手く統一はできない。

コツではないけども、無理に理性を否定したり、そこから逃げるのではないと思う。理性の背景を感得するのが大切なのだろうな。小我を捨て大我を自覚する、とかよく言わるがそうゆうことなのだろう。
しかし、理性やら、感性やらで、恣意的に自由にできることがらって意外に少ない。
自分の身体がそうなのだから、自分の子の成長や他人に対してもお節介になりそうだな。
自然法爾。


GWは山形の実家の寺のにてささやかな得度式をした。
義父の弟子として一応僧籍を得た。本格的な修行は来年三月から。
昨年末に病に倒れた義父は目が不自由となってしまった。
50代半ばで文字が読めず、車の運転もできなくなった義父の助けになりたいという思いと、僧侶として修行の道も自分には合っていると思ったのと。

義父を助けたいというのはけして欺瞞ではないが、しかし利害の一致という表現も上手くない。
やはり自然法爾だろうか。





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Last updated  2010.05.09 23:16:51
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