出陣式
こんにちは、鎌田です愛夢舎は今日から3学期レギュラー授業がスタートしています。それに先んじて昨日、中学3年生と高校3年生を対象に「出陣式」を執り行いました。愛夢舎の目の前に熊野神社さまがございます。毎年の恒例として、まずは受験生一丸となって塾長佐々木に率いられ、「熊野詣」をいたします。参拝の前に、彼らには神社のお参りの仕方を説明しています。年末あたりのブログにも書いたけど、最近の中学生は除夜の鐘の回数を知らないくらいだしお寺と神社の区別がつかない子も少なくないし、でも、こういう伝統はちゃんと伝えていきたい、これは信じるとか信じないとか、そういうことではなくて、「しきたり」に真面目に倣い、正しく執り行うことはやはり「ここ一番」では大事だと思う。そういうわけで、彼らは鳥居の前で一揖して、ど真ん中を避けて進んでいきました塾長佐々木に倣ってみんなで手を合わせます。もちろん、事前にちゃんと話しています。神様にお願いするったって、「おねがい、助けて~~><」なんていうお願いはイカン。 そうではなくて「私はこれこれこういう風にいたします。 これこれこういう風に頑張りますので、 見守っていてください、力をかしてください。」そういう「決意表明」が祈願であって、その後押しをお願いするわけです。だから、神様がいるとかいないとか、あえていうと、そこはどうでもいい。こうして、チームでもってみんなが同じように「祈願」することで、お互いがお互いの背中を押す、僕は実をいうと、そうやって飛び交う人々の想いこそが「神様」だと思っています。だから、何日か前のブログにも書いたけど、それがキリスト教であっても仏教であってもそこはどうでもいいわけです。少なくとも、何千万、何億という人々の真剣な想いがこの世界には飛び交っているわけで。「愛夢舎」というチームで真剣に参詣する意味は自分ひとりの想いだけではなく、それぞれが何十もの想いを背中に感じて進めること、そこにあると思っています。あ、もちろん、参詣のときに自分の住所と名前を神様にお伝えすることも忘れないように、説明しておきましたよ校舎に戻って、集まった先生たちから「激励のことば」をなげかけました。 今回は、時間講師の先生も多くかけつけてくれて、それぞれのハナシを座ってきいているのは正直いえば、受験生たちにとっては長くてつらかったかもしれない。「激励」っていったって、「ガンバレ!」っていうわけじゃない。どの先生も、自分の想いをしゃべるだけです。もちろん、入試その日の注意事項を話す先生もいるけど、特に若い先生たちは自分の体験を語ることが多い。僕も昨日は、ずいぶん長く話してしまった。実をいうと、僕自身は高校受験でも大学受験でも涙を流したことがない。受かったときの嬉し泣きもないし、落ちたときの悔し泣きもない。そのことが、ひどく残念であるし、そこまで情熱を注がなかったのかもしれない、カンタンにいうと、一生懸命さが足りなかったのかもしれない、と、そういう風に思ったりすると、これは「恥」であったりもする。そこで僕はちょっとした小テストの不合格で涙し、自分の成績が思うように伸びずに涙し、迫る受験への恐怖から涙し、そして、受験を終えてうれし涙、悔し涙を流す受験生をみていてうらやましいと思う。僕のかわりに涙をながしてほしい、っていうんじゃない。そうではなくて、今の彼らにとってはまだやってきてほしくないし、早く終わってほしいし、そんな苦しい数か月かもしれないけど、でも、そんな素敵な数か月、そこに僕も一緒に参加させてほしい、そういう想いで毎年この時期を迎えています。彼らにこうしてほしいというのではなくて、今の彼らと一緒に僕も戦わせていただくこと、それが彼らの応援になるかもしれないし、僕の喜びでもある、と、そんな話をしました。若い先生たちも、同じような想いなのかもしれません。自分の体験を伝えることで「自分も君たちと一緒だ! 君たちも自分と同じように、やれる!」と。ここにもまた、チームがあります。センター試験まで1週間。私立高校入試まであと10日。残りの時間があるのではなくて、いよいよスタートが迫っています。今年の受験もチーム一丸となって突撃します。kama