【愛夢舎ヒストリー第11章】 塾の終焉~逃れられない魔の歯車(再掲載)
~14年目の今年、「原点回帰」をテーマに、 「愛夢舎ヒストリー」を序章から再掲載しております。 現時点で、全33章。 各記事の一番下に、次章へのリンクがあります。どうぞお楽しみください~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ (【第10章】へもどる)1998年度-。 歯車が完全にかみ合っていなかった。 塾は経営不振に陥り、 生徒数は減少の一途をたどっていた。 減るのは職員だけではない。先生が減れば、生徒も減っていく。どこからおかしくなってしまったのか、 誰にも判断ができない状態に会社は陥っていた。 一時は「西武池袋線最強」とまで言われた新興急成長企業は、みるみるうちに生徒減少の波に飲まれていった。 しかし、校舎は自社ビルで運営しているわけではない。 確実に毎月の家賃が発生する。 生徒が減っていくとはいえ、自分を含めた職員も、こうして会社の売上で生活している。なんとか生徒を増やし、健全な状態戻さねばならない。ほぼ同時期に「ひばりヶ丘」、「清瀬」、「新所沢」の各校舎で教室長を務めていた佐々木、鎌田、小田切の3人は、 一様に危機感を覚えていた。 何しろ教室長は、校舎運営責任者であり、ということは月々の校舎の収支報告を行う立場である。 月末になると、ひと月の月謝収入を計算する。そこから校舎運営費(家賃・光熱費・電話代ほか)を引く。さらに自分の給料と校舎で働く職員の給料を差し引いていく。この単純な計算の結果、金額に余りの出る校舎は、もはやほとんどなかった。打開策として会社が指示したのは、各家庭からの売上単価を上げることであった。もちろん、生徒が増えればそれでよい。しかし、増やすためにはPRが必要である。 PRにも経費が回らないとなると、とりあえずそのための経費を集めねばならない。月謝の値上げはあまりに露骨であるため、それ以外の部分での売上アップを教室長は至上命題として課せられることになった。 例えば、塾のグッズとして文房具を販売する、ひとりの生徒に、できるだけ多くの授業を受講してもらう、 野外教室への参加を、強制に近い形で勧誘する。 結果は言うまでもない。悪評が悪評を生み、どうすることもできないまま、 生徒減少に拍車をかけるのみとなった。 次にとった対策は、減給である。まずは運営責任者たる教室長が、減給処分となった。それだけではない。 今となっては生徒に受験させる模擬試験ですら、 注文するだけの経費が回せない。プリントを配ろうにも、コピー代金を会社が出してくれない。 つくづく「先生」という職業は因果なものである。 模擬試験を注文するのに会社が費用を出さないとなったとき、 「先生」はどうするか。 決まっている。「自分が代わりに支払う」のだ。 誰が強要したわけではない。 会社の方針でもない。 会社の方針は「注文できない」という、ただそれだけのことだから。 しかし、少ないながらも自分たちの授業を受けにきてくれて、わずかではあるかも知れないけれども、 自分たちに期待してくれている、そんな生徒を裏切るわけにはいかない。 それが「先生」である。 「会社が出してくれないので、 模擬試験は受けられません。」そんなこと、かわいい生徒たちに口が裂けても言えるだろうか。 「コピーをさせてもらえないから、 授業は教材なしでやります。」そんなことができるだろうか。 ・・・できるのかも知れない。 「仕事人」として、あるいは「労働者」としてならば。 生徒の受験を目前に校舎を去った「職業講師」ならば。 しかし、この状況に至るまで、佐々木が、小田切が、鎌田が、 他の数少ない仲間が残ったのはなぜか。 「生徒がいるから」。「労働者」ではなくて「先生」だから。それだけである。 ~【第12章 借金】につづく