映画;半落ち
今日は本当はお墓参りの予定だった。あさからのどしゃ降りで、急遽お墓参りは日曜日に変更。空いたので,無駄にしたらもったいないと、映画に行く。小説で読みたくて図書館に予約して6ヶ月も待ったのに、私の順番の時悪い事に桜のシーズンのダブルバイト中。図書館に行けず、また最後の番に回された。映画はロングランの時にも見に行けなかった。やっと今日見られた。寺尾聡がなんとも言えず,いい雰囲気を出していたし、柴田恭平も良かった。一人息子の死と白血病のドナー登録,アルツハイマーの患者と介護する家族。本当に一口では言い尽くせない位命を考えさせられる作品だった。自分が壊れて行く事への恐怖は計り知れない。魂が壊れたらもう命ではないのか???と言う裁判官の問いかけ。いろいろな考えがあっていい。親子でも、夫婦でも、兄弟でも命のことはまったく同じ考えでなくてもいいといつも思う。心の中の葛藤はその人その人で違うし、同じ人の心の中も時刻々と変るのが当たり前だと思う。同じである事なんかないし、それでいいと思う。命そのいとおしきもの。ただただ涙が流れてとまらなかった。おじサンも泣いていた。エンデイングの森山直太郎の「声」がたまらなく切なく胸が苦しかった。「半落ち」本で必ず読みたい。もう一本は「阿修羅のごとく」。これも本当にいちいち自分の中の女がうなずいてしまう。何も言わないで耐える女。私にはあんな芯の強さはない。表面は穏やかでも心が夜叉のように怒りを押さえつけている女。私には到底出来ない。女と男の事は誰一人として,はっきりとこたえを出せないのでは。自分でもわからない理性を超えたものが身体の奥深くにマグマのように在るのだろうか。吹き出すマグマにわが身を焦がすのだろうか?どろどろとしたものがあって女も男も生きていると言えるんだろうなあ。枯れる。男も女もマグマのどろどろが消え,枯れて、生(性)を終えるのだろうか。