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カテゴリ:テレビ番組
無理矢理にでもタイムリーなテーマを取り上げて番組を盛り上げようとするのは理解できるが、今回のマニフェストはあまりにも無残だった。
関根勤の提案による「小学校で武道を必修に」である。可決されてしまったが。 今のイジメの問題とは、どう考えてもかすりもしていない。現実、中学で武道(柔道・剣道)が必修だった(私立の)学校をいくつも知っているが、じゃあそこでイジメの問題がなかったかというとそうではない。今思い起こせば現在よりも酷いイジメの巣窟といっても過言ではないくらいで。 武道を必修にしようがしまいが子供を集めて同じ場所に長い期間半拘束状態にしておくとどうしても「いじめ」の問題は起きます。まちがいない。 なにかが大きく間違っている。 さらに番組は和希沙耶の小学校時のいじめられた側の告白と、それを(親の立場から)叱る金美齢との対立というか激論というか水掛け論になってしまい、見せられる側にとってはなんともはやという出来になってしまった。 自分がちょっとだけ期待していたのは、イジメの側の象徴としての太田光が自己批判をするかどうかだった。がそれも肩透かし。 他局の番組になるが、太田光の、ふかわりょうやインパルス堤下に対する「イジリ」は完全にいじめの領域に入っているからだ。おなじことをこどもが同級生にやったら完全なイジメになる。 そのことに対する自己批判がなければ、たとえ番組のMCとは言え、この議論に参加していてもその発言は空しくしか感じられないのだ。 だからこそ、逆に ふかわりょうと土田晃之の発言のほうが光ってみえてしまったのではないだろうか。 今のイジメの問題が深刻なのは、イジメられた側の子供がすぐに自殺してしまうということのほうだ。 その原因がどこにあるかということだ。 小学校二年のときに自分はイジメにあった。別のブログにも書いたが それでも子供の自分が自殺とかをまったく考えなかったのは、おそらくは「死」に対するイメージのせいではなかったかと思う。 子供のころ、自分にとって「死」というのはひたすら恐ろしいことであった。 なにが恐ろしいかというと、「自分」が動かなくなる、動けなくなって棺おけに入れられて、焼かれて墓に埋められるということに対する恐怖であった。 通学路の途中の草むらにときどき犬や猫の死体が捨てられていることがあった。それが毎日毎日腐ってゆき、蛆がたかっているのを目にすることになる。それは子供の自分には一種のトラウマというか恐怖でもあった。 さて、今の子供たちに「死」に対するイメージということで多大な影響を及ぼしているもの、それは「ゲーム」とかではなくて、むしろ今テレビでやっているオカルト番組の方だろう。ホラー映画もそうではないか。いじめをうけて自殺した子供の霊が復讐するとかいうようなホラー映画、いっぱいあるし。 「前世」「来世」とか「輪廻転生」なんてものを真に受けて信じているような子供だったら、ひょっとすると自分も自殺していたかもしれない。可能性がまったくないとはないとはいえない。そう思うのだ。 テレビ局が本当に子供達の自殺を防ごうと思っているのなら、「オーラのなんとか」というようなニセモノの天国を売り物にした番組なんてすぐにやめることが一番だと思うのだが。違うだろうか? 死後の世界なんて存在しない。人間の人生はたった一回しかないからこそ尊いのだということを徹底的に訴えるという努力である。 今の民放テレビ局にはそういう反省を求める。まあバラエティ番組にそんなものを求めても無駄か。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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