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カテゴリ:テレビ番組
不覚だった。録画しそこねたのだ。 いや「録画しそこねた」はおかしいか。「録画はしたのだけれども正しく再生されずにみれなかった」のだから。こんなのははじめてのケースなので今後に不安が残る。 まあ読者の方々にとってはどうでもいいことなんだが。 借りてきた第六話を録画したV(テープだぞ、しかもアナログ放送)をMPEG形式のファイルに落として、それをまたWMVに変換(いわゆるエンコってやつですな)したものをキャプチャーした画像なので見ての通りでボケボケのものになっている。お許しを。[追記] ストーリーは先週からのまるっきりの続編。 里中貢(大森南朋)の葬儀の帰り、歩道橋の上でミショウの三人の会話。 当麻(戸田恵梨香)が「こうまでして(刑事の死の真相を闇に沈める)守らなければならない我々警察の仕事ってなんなんでしょう」と愚痴ると、野々村係長(竜雷太)は「それがわからないのならば即刻刑事を辞めなさい」と当麻をたしなめる。そして最後に締めの言葉として野々村係長の口からでてきたのが 「心臓が息の根を止めるまで真実に向かってひた走れ それが刑事だ」 のセリフ。 10年前「ケイゾク」の中で、やはり野々村係長が口にしたセリフである。[註] ケイゾクのファンだったらここで「キター」とか胸躍るところだろう。 むしろ自分が引っかかったのは、次にいきなりカットバック的に津田(椎名桔平)が 「いちいち うっせーな クソにたかるハエどもがよ」という携帯を手にして呟く横顔のシーンに繋がったことだった。 まあつまりはこの三人の会話は津田によって盗聴されていた[註]ということだろうし、津田の正体もここでなんとなくだが匂わせているということなのだろう。 どうにも、このように「あいだ10年も隔たってしまった続編」を収拾させるためにどんだけ仕掛けを施す苦労をしなけりゃならんだろうなぁというような製作サイドのボヤキのようなものを感じてしまうのである。 だったら、どうせだったら最初から「津田=早乙女=アサクラ」というような前提ありき[註]で作ってほしかったと感じるのは自分だけか。 終盤、腕利きの心臓外科医の海野(安田顕)の正体が明らかになってからの美鈴(福田沙紀)を交えての攻防は見ごたえがあった。ここも「ケイゾク」にあった外科医(光石研)と真山(渡部篤郎)とのやりとりを彷彿とさせるものがあった。 あの「後味の悪さナンバーワン」といわれているエピソードに対する(脚本家からの)一種の「アンサー」という位置づけなのかもしれない。 (つづく) [註]元々は柴田純(中谷美紀)の父親が、部下の野々村刑事に垂れた訓示のようなものだったのを、今度は月日が経って娘の柴田純に向けて野々村が諭すという設定だったか。 [註]三人のうしろに誰かもうひとりが歩道橋の上にいて、通り過ぎざまにこちらを振り返って何かをしているのがわかる。それを当麻が不審気に振り返り見ている。まあこのときに盗聴機の発信機を付けられたということだろう。 【追加】nobu君から貰った高画質のファイルで見直したら三人の後ろにいたのはふたりで、背格好からすると例の図書館やステーキハウスも居合わせていた老夫妻のようだった。 【追加2】「繋ぎに時間的な遡りはないので『カットバック』はちょっと違うんじゃないの?という指摘があった。なるほど言われてみると確かに誤解を招く書き方であった。詳しくはウィキのクロスカッティングの項目をご覧頂きたいのだが、自分はこの津田(椎名桔平)の吐き捨てるような台詞が野々村係長の最初のあたりに掛かっているように取った。で時間的な逆転を感じたので「カットバック的に」と書いたのだけれども。 追記 ま、これもまたどうでもいいことだが… よく「オカルトを全否定しているあなたがこのようなオカルトドラマを評価するのは論理的におかしくはないか?」みたいなことを言われるのだけれども、それは二重の意味で誤解されている。 自分は(現象として実在している)オカルトを全否定はしていない。(そもそもそんなこと自体が不可能) 単に「オカルトである」といわれているもののほとんどがすでにネタばれしたインチキでしかないのに、それを偽って「本物の可能性がある」というスタンスで番組にしてしまうテレビや、番組に出てきて「これは本物(のオカルトである)」と断言するような自称「オカルト研究家」のことを厳しく罵っているだけにすぎない。 その差は大きいと思うのだが。 これは最近になって思い出したことなのだが… だいぶ以前に深夜テレビ番組の中で 「(こういうテレビ番組に出て何か言うような)自称オカルト研究家の方のほとんどが実は出自を見てみると、テレビなどのマスコミ関係者だったりオカルト作家だということを考えると、この方々のいうところの「研究」という言葉に疑いを持ったほうがいいと思っている。この「研究」という言葉は「創作(想像・創造?)」と置き換えるとオカルト事象というものの真相は割りとはっきりと見えてくるような気がするのです」 と言っていた大学教授[註]の方がいたのだが、自分もそういうことなんじないのかという気がしている。 むしろ自分が感じるのは、こういうフィクションとしてのオカルトの世界と現実世界との仕切りのない人たち特有の危うさというものである。 笑い事ではない。ついこの間までこの日本の国の首相をやっていた人間はそのものズバリの「オカルトさん」だったのだから。そっちのほうが「まるでフィクションのようなオカルト」である。 [註]大槻教授のことではない。確か心理学とか精神医学畑の人だった。蓮舫とか東国原英夫とか高市早苗が司会をしていた深夜番組だったと記憶している。 ※ 画像を差し替えました。 ちなみにこちらが最初のアナログから取り込んだ画像 上のものと比べるとこんなに差が出る。 あれ意外とかわんねーな オイ、みたいな(笑) SPEC 06 己の回 そのニ SPEC 05 戊の回 SPEC -- 休の回 SPEC 04 丁の回 SPEC 03 丙の回(ネタバレ注意) SPEC 02 乙の回 SPEC 01 甲の回 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010年12月07日 00時56分11秒
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