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テーマ:大河ドラマ『平清盛』(470)
カテゴリ:テレビ番組
言われて気づいたのだが「平清盛」を主役に据えた歴史物ドラマ映画の数は極端に少ない。
まあ「平家」そのものが主役にしにくいというか、頼朝・義経の父、源義朝を追い落とした張本人側であるから、どうしても日本歴史上の「悪役」になってしまうのだろう。 で清盛も、頼朝が主役のドラマ・映画の仇役程度よくてラスボスの役割しか振られないというわけか。 自分が大河ドラマを頭からちゃんと見るのは実は「風林火山」以来のことになる。 大河ドラマというもの、特にここ数年は、内容よりも、主役の顔を見ただけで、それが一年付きあえるものかどうかがわかってしまうという面がある。 平清盛が主役でなおかつこれまた松山ケンイチが主演の大河ドラマってのも凄いものがある。 第一回目を見た率直な感想を言えば「微妙」 なんだろうか。作る側が「史実」を踏襲するのではなく、あくまでも「フィクション」に重心を置いて作っていることを悟られたくないというある種の臆病さというものが伝わってくるからか。 劇中海賊討伐のシーンで使われているBGMはエマーソン・レイク&パーマーの「タルカス」 最初耳を疑った。空耳というかある種の剽窃(パクリというよりもパロディともオマージュといえる)ではないのかとか。 ところが違っていた。ちゃんとクレジットもされていた。 ただ、そのクレジットが「Emerson/Lake」になっているが、これはちとおかしい。このドラマで使われたパートについていうのであれば、「作曲キース・エマーソン」でいいはずなのだが。[追記] こういうのはよくある。たとえば似たような例でいうと、キング・クリムゾンのファーストアルバムの「エピタフ」であるとか「クリムゾン・キングの宮殿」の二曲の場合も、作曲の面子にグレッグ・レイクの名前が入っていたり入っていなかったりする。 やはり権利関係が絡むとなるとこういうところも厳正にしとかないといけないということなのだろうか。 気になるこれからだが、やはり次回以降も見ないとなんともいえないという感じ。悪くはないんだが。 追記 「なんのことかよくわからん」という意見があった。 で追加説明をしておく。 タルカスというのはELPのセカンドアルバム「タルカス」の(当時でいうところの)レコードA面フル20分以上に亘る「組曲」の名称。このドラマで使われているのはその組曲「タルカス」の一曲目「Eruption(噴火の邦訳がついていた)」で、この曲はキース・エマーソンの単独のクレジットになっている。 グレック・レイクがクレジットされているのは2曲目「Stones of Years」 (Emerson/Lake)と4曲目の「Mass(ミサ)」 (Emerson/Lake)、6曲目「Battlefield(戦場)」(Lake)である。 また、キングキリムゾンのデビューアルバムに収録されている名曲中の名曲の二曲もまた 「エピタフ」は「理由なき行進」「明日又明日」という短い二曲が、「クリムゾン・キングの宮殿」は「火の魔女の帰還」と「人形の踊り」の二曲が組み入れられた組曲の構造になっている。 従来方式のクレジットだと エピタフが「Fripp/McDonald/Lake/Giles/Sinfield)とメンバー全員が作者になっている。ところが最新の英米のダウンロードサイドなんかでは、ロバート・フリップ、グレック・レイク、マイケル・ジャイルズの三名の名前が抜けていることがあるのだ。 一方「宮殿」は (McDonald/Sinfield)と、つまり「イアン・マグドナルド作曲;ピート・シンフィールド作詞」という実にわかり易いものだったのに、EGmanagementによる公式HPなどでは、こっちもエピタフ同様メンバー全員の名前がずらりと並んでいたりする。 このあたりで自分が思い出すのは、約30年以上も前のことだが、イギリスの音楽新聞「SOUNDS」に掲載されていた(当時フォリナーのメンバーだった)イアン・マグドナルドがインタビューの中で創成期キングクリムゾンの曲づくりのプロセスというものを半ば暴露的に語っていて「ほとんどが自分とピート(シンフィールド)が曲を書いていて、あと残りの3人はあとからちょこっとだけ手を加えていただけ」という証言だった。 要するに基本となる部分は「マグドナルド/シンフィールド」で挟み込まれているインプロビゼーションに近い二曲は「残り3人」ということになるのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年01月11日 14時52分50秒
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