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カテゴリ:テレビ番組
日曜の朝から友人の家で酒を飲んだりしているのは、土曜の夜の夜勤を終えてそのままみんなで友人宅に転がり込むときぐらいだろう。
二週続けてそんな感じで日曜午前からTBSでやっている「サンデー・ジャポン」を半ば強制的に見せられたのだけど、自分は画面の中の爆笑問題太田が何かを言ったりするのを目にしてある種の「終末」というものを感じていた。 一緒にテレビを見ていた人たちはそれを「最近の爆笑太田はなんかイタい」というような表現で感想を口にしていたが、自分はそういう単純なもんじゃないだろうと思う。修復不可能な「壊し」で笑いを取ろうとする太田の身の上にはもっと根源的な何かが起きているはずだ。 なんていうのだろうか。やや大袈裟になるが「やはり爆笑問題太田光はいわゆる『お笑い』のステージを降りちゃった人なのだろうか?」とかそういう感じのことだ。 最近ではまったく聞かなくなってしまったのだが、だいぶ前からラジオでの爆笑太田光の「番組壊し」の言動は目に(耳に)余るものがあった。ツッコミとかボケとかの役どころ関係なしに田中と罵りあうだけの深夜ラジオ(1時間も続いたりする)とか日曜昼のラジオでは台本無視で延々としゃべり続けたりとか、なんていうのか、もしかして「聴取者をわざと減らそうとしているのだろうか?」と疑いたくなるような太田の振る舞いは確かに時折あった。 それと今の太田がテレビでやってる悪ふざけを結びつけていいのかどうなのか。正直よくわからない。わからないがたとえばこういう感じのことをテレビでやっている太田を見てどう思うかだ。 南海キャンディーズ山里亮太が進行するコーナーに乱入して用意されていたボードのマスキングを勝手に次々にめくってゆきコーナーを全部ダメにしてしまったり、笑いを取るのとはまったく逆のベクトルのことをしてヘラヘラ笑い転げている太田を見て誰が楽しいのだろう。 あるとすればそれは山里のいじめられ芸を楽しむというかその程度のものだろう。そういう人がいじめられているのをテレビで見て人は「楽しい」のか。自分は単に不快なだけだし、山里の自虐ネタと、このような(半)身内によるイジメ芸が両立しないものだということぐらいはとっくに太田ならば気づいていそうなものだと思うのだが。(まんまとそのドツボに嵌ったのが品川祐だったわけだが) だから、自分は「何かが太田光の身の上に起きているのではないのか」みたいな邪推をしてしまうのです。 たとえば、友人は「談志が死んじゃってから、太田は糸のきれた凧みたいになっちゃったねぇ」みたいなことを言っていた。確かにそんな感じだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年01月23日 05時21分56秒
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