● 望は何と聞かれたら
望みは何と訊かれたら 小池真理子(著)全共闘時代、革命活動に加わったことから始まった数々の人間との出会い、凄惨な事件、その先に待つある男との奇妙な関係…それらを抱え持つひとりの女の半生を描いた作品。壮絶な内容とは別の所で、じっと側にあるひとつの真実。誰しもが持っているけれどそれに気がついてしまう人と知らないふりができる人まったく気がつかない人と別れるであろう不可思議な感情、中でもこんな文章に心惹かれました。本文より抜粋---------- 時々、思うことがある。人々は、本当のところ、何を考え、何を想い、何を欲しがり、何にこだわりながら生きているのだろう、と。そこそこの出世、そこそこの富と名誉。平凡だが波風の立たない社会生活と家庭生活。表面上の恙ない人間関係。子供の健やかな成長、夫婦の安泰、老後の保障。永遠の若さ、美しさ、人間ドッグの後に出てくる、惚れ惚れするような検査結果。痩せること、異性にもてること、恵まれた結婚をすること、いい家に住むこと・・・・・。あればあったでかまわない。もちろん歓迎もする。だが、そんなものは結局のところ、どうだっていい、本当に欲しいものは他にあるのだ、と密かに考えている私のような人間はいったいどのくらい、いるのだろう。ーーーーーーーーーーーー夜が明け、星が消え、太陽が覗き、再び夜がきて、月や星が現れるように、太古の昔から飽かず繰り返されていた宇宙の営みに逆らうことはできない。神ですら。同様に、わたしたちの中にあらかじめプログラムされている人生のシナリオにさからうこともまた、できないのだ。出会いと別れは、人生のプログラムの中にひそかに仕組まれている。その過程で味わ苦しみも幸福も、悲しみも喜びも、そのすべては必然なのだと思う。となれば、生きていくためには、見えざる人生の流れを受け入れていく他はない。夏の晩、森の奥で、満天の星を、息をのみつつ受け入れた時のように。