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カテゴリ:科学・宇宙...林檎落しますか?
長くなってしまいましたw。 ホントは一昨日の1回こっきりにするつもりだったんですけど、このテの話をしだすと止まらないもんでw。 というわけで、この話題は今日で最後です。 「手品」や「科学」で再現可能な超常現象はすべてインチキなのでしょうか? ならば、高等数学やスーパーコンピュータをもってしても正確な値を算出できない円周率「π」もインチキ? 「円」なんてただの幻、錯覚の類なんですかね? 目の前に円周“2π cm”の円が存在したとしても... これでは「心霊」に対して「科学的な否定の証明」が成されていないことになります。 もしかすると、そういった化学反応や磁気反応、錯覚を起こさせることそのものが、その超能力の正体なのかもしれないのに... ヒトの脳に、枯れ尾花を人のように錯覚させる力...フィルムの化学反応を促進させる力...ヴィデオテープの磁気に干渉する力...その構造が解明されていないだけで、磁石をTVに近づけるといった小学生の理科程度の原理なのかもしれません。 ところで... 現代の日本ではその心霊の研究そのものがされていません。一部の学者が頭ごなしに否定しているだけです。 海外の大学には結構、超心理学の教室が存在し、警察に捜査協力しているくらいにオープンであるのに対し、日本では防衛大で研究されているのみです(『防衛大』ってのが何となく意味深)。何故ここまで冷や飯を食わされることになったのでしょう? 発端は、帝大教授、福来友吉氏の超能力研究にあります。 福来教授は明治末期、「リング」で御馴染み貞子の母親のモデルとなった御船千鶴子の持つ千里眼の研究と実験において、新聞記事による持ち上げとその後のバッシングによって、事実上失脚しました。 そう、ユリ・ゲラーの場合とまったく同じパターン、マスコミによるマッチポンプです。 それ以来、日本の学会では超心理学に手を出すことはタブーとなってしまったのです。日本の科学はマスコミに負け、「真理の追究」のひとつを放棄したわけです。 大友克洋氏の「アキラ」の中で、こういう台詞がありました。 「元はアメーバみたいな生き物が進化の末、核のような膨大なエネルギーを使うようになった。元のアメーバのどこにこんなエネルギーが潜在していたのか?」 確かに爆薬も核も、人間が自身の肉体で発生させるエネルギーではありません。 しかし、これらはノーベルの、アインシュタインの、彼ら科学者たちの脳の中の概念が具象化したものであることは間違いありません。 こう考えると、人間の思考の力って凄いって思います。只の化学反応とは思えません。もしかすると彼ら真の科学者の思考こそが超能力なのかも!? しかし、この凄い思考のエネルギー、死んだらそれで終わり? エネルギー保存の法則にも反することのように思えます。死んだ人の思考のエネルギーが残っている...って言ったら、私のような単純な人間は、即ユ~レイと結び付けてしまいます(爆)。 アインシュタインのように、生きてるうちにその思考力を研究に使いまくった人間ならいざ知らず、私のような凡庸な人間ならば、そのエネルギーはどう使われるのでしょうか? できればESPなんかで、生きているうちに発現して頂きたいもんです。 特に、テレポーテーションなんかをリクエストしたいですね。あぁ、朝の通勤が楽だろうなぁ。(← 小さい人間w) もし、発現せずに死んだりなんかすると、溜まりに溜まった煩悩エネルギーの行き場がなくなり、遂に女風呂に化けて出たりなんかして。(← お下劣な人間w) あぁ、非科学的w。 そう、「非科学的」。これを馬鹿にしてはいけないのです! 真の「科学」とは、常に「一見非科学的」な領域にこそ存在してきたのですから。 例えば、昔は非科学的迷信の類であった「火事場の馬鹿力」が、今では筋肉を過剰に使用する際の脳の働きの一部で、いわゆる肉体のリミッターの外れた状態のことであることが判っています。コミック版「パトレイバー」のグリフォンがBシステムを切り離したのと同じ状態ですね。(←知らんヒトにゃわからんw!) つまり「科学」が「迷信」に追いついてきたのです。 科学とは、クラシック音楽のように現在で完成された学問ではないということですね。 いや、全ての学問は常に「現在進行形」なんですね。たとえそれが「過去」を振り返る歴史学という学問だとしても... 「見てきたんかい!」と、突っ込みたくなるような歴史書の記述とその解釈は文字通り、見てきたわけじゃないから絶対じゃありません。事実、刻々と新しい発見がなされ、日々定説が覆っています。「昨日の常識」が「今日の非常識」なのです。 過去の出来事ですらこうなのです。いわんや未来を扱う「科学」においてをや、です。 100年くらい前の科学者の間では、「宇宙空間には『エーテル』という物質が存在している」というのが定説でした。 波の一種である「光」が宇宙空間を伝わってくるには、それらを伝える媒体(水面の波には水、音には空気)となる物質が必要だと考えられたからです。 しかし今では子供でも「宇宙は真空(に限りなく近い)」ってことを知っています。 マイクル・クライトンの「スフィア」って小説の最後に、主人公である科学者のこんな意味の台詞がありました。 「科学の定説ほどアテにならないものはない。いずれ『20世紀の物理学者は素粒子なんてものが実在すると、本気で信じていたんだぜ』と笑われる日が来るに違いない」 先に書いた、「今、非科学的なこと」を笑っておられる方々(特に学者関係)。 将来、「昔の科学者は人魂の正体はプラズマだと信じてたんだぜ」と揶揄されないよう気をつけて頂きたいものです。 仮にも科学者と称する方々がその時代の科学的思考の代表格である以上、我々大衆も一緒に笑われていることになるのですから。 というわけで、HN:kantetu様。 私がオカルトを非科学だと思っていない理由、これで納得していただけたでしょうか? v(^ ^∧) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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