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2013.12.21
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カテゴリ:西暦535年の大噴火

飲み過ぎです

「アフリカの東岸を船で25日南に行くと、ラプタという都市に到着する」

そう記録に書いたのは、ギリシアの地理学者クラウディオス・プトレマイオス(83頃~168頃)です。

1世紀のローマの文献にも、ラプタは、象牙とベッコウの産地であること、他にもオポネ(現在のソマリアのハーフーン付近)、エッシナ、トニキという都市が栄えていることが記されています。

ローマの上流社会では、象牙は貴重品であり、富のステータスでもありました。象は北アフリカやエチオピアあたりにもいましたが、紀元2世紀頃までの乱獲で絶滅しており(かのカルタゴの名将ハンニバルが、アルプス越えで使った象は、エチオピアの象といわれています)、象牙を産する東アフリカは、ローマにとって重要な取引先であり、ラプタとは友好関係は、数百年にわたって続いていました。

これら東アフリカはバントゥー人(古代から現在まで、北アフリカを除くアフリカ大陸大半地域に住んでいる人々)が住んでいました。

ラプタは4都市の中で最も南にあって、東アフリカで一番大きな都市だったようですが、現在、どこにあったか不明です(現在のタンザニア沿岸と推定されています)。エッシナ、トニキも同様で(エッシナはケニア、トニキはソマリア南部と考えられてます)、いずれも6世紀半ば頃を最後に消息は途絶えました。

インド洋に面した東アフリカ地域は、古代の文献では栄えた都市として登場するにもかかわらず、7世紀以前の考古学的な遺跡が非常に少ない地域です。僅かながらに残っている痕跡から、6世紀頃半ばを境に、生活様式が大きく変わったことがわかっています。

6世紀までの東アフリカは農業が盛んでした。人々の多くは都市などに定住し、鉄製品の加工(ローマの記録では、ナイフや斧が特産品だったと書かれています)も盛んでした。

ところが7世紀になると、人々は農業をやめて沿岸の都市は捨てられ、内陸部に移住して、牧畜中心の社会へと変わっていきました。

なぜ農業が廃れ都市が放棄されたのか、残念ながら彼ら自身の記録が残されていないため、明確な理由はわかりません。

しかし東ローマ帝国やペルシアの記録から、ペスト(腺ペスト) によって東アフリカの都市が衰退し、都市社会が崩壊していったのではないかと推測されています。

ペストは齧歯類(クマネズミなど)に流行する病気です。それがノミを媒介して人間など他の動物に感染します。

ちなみに人類最古のペスト大流行というと、古代ギリシアのアテナイで、ペロポネソス戦争中の紀元前429年に発生したのが初めてと言われていましたが、病状の記録を病理解析した結果、天然痘もしくは発疹チフスであると考えられています。したがって、この6世紀に起きたペストは、人類が初めて遭遇した大流行だったと思われます。

ペストがどのようなメカニズムで大流行するかは、全米病気管理センターが科学的に解明しています。

簡単に言えば、豪雨、干ばつが交互に襲うような、異常気象によって、ネズミが大繁殖した結果、というものです。

まず、豪雨は植物の生長を促します。次にそれを食糧とするネズミが繁殖します。数を増やしたネズミは、天敵によって数を減らされながらも、増えた数の食糧をまかなうために生息範囲をどんどん広げていきます。

次に干ばつが襲います。一転して食糧難になり、植物もネズミもその天敵達も相当数激減しますが、元々繁殖能力が高く、雑食(彼らは共食いもしますし)のネズミたちは、一定数を回復させながら、食糧を求めて一層生息範囲を拡大させていきます。

そして再び豪雨が大地を覆い尽くすと、植物は勢いを取り戻して、大量の食糧を得たネズミも飛躍的に大繁殖し、すぐに数を回復できない天敵を差し置いて、生息範囲をさらに拡大させ、さらに次の干ばつ、その次の豪雨と、異常気象を巧みに乗り切りながら、寄生するペスト菌と共に、生息エリアをどんどん広げていくという仕組みです。

樹木の年輪調査から、西暦530年代半ばから、アフリカ大陸、インド洋沿岸地域では、これまで無かったような豪雨と干ばつが、繰り返し見舞われたことがわかっています。つまりペストの大流行発生条件に合致していたのです。

ペスト菌を保有していたネズミたちは、元々はアフリカ大陸内陸のサバンナにいましたが、異常気象により人間の住む沿岸部に侵入し、家屋の床下などに住み着きました(特にクマネズミは人を恐れません)

都市は天敵が少なく食糧も豊富なため、ネズミにとっては天国でした。都市で繁殖を続けながら、ペストは人々に感染させていきました。

治療方法はおろか、感染経路すらわからない当時、人がペストに対抗する術はありません。こうして都市は廃れ、生き残った人々は疫病の土地を捨て、生きていくために狩猟と牧畜の社会へ変わらざるを得なかったのです。

人は狩猟生活から農業と定住生活に変わったことで、文明の発展に繋がったと言われています。バントゥー人たちの行動は、文明から退化した印象を持つかも知れませんが、ペストから逃れるための合理的な選択の1つでした。

なぜなら、ネズミは畑を荒らしますが、自分より大きな牛や羊を襲うことはありませんし、バントゥー人が畑を捨てたことで、ネズミは食糧源の1つを失い、異常気象から数年、天敵の数も回復してきて、ネズミの増加も収まっていき、牧畜をしながらサバンナに逃れた人々は、ペストから徐々に逃れることが出来るようになっていったのです。

ラプタなどの都市は密林の中に埋もれ、8世紀頃にアラブ人たちがこの地に移住して、都市を造り、新しい文明が作られていくことになります(現在東アフリカにある都市は、アラブ人たちが作ったものが大半です)

こうして古代から繁栄していた東アフリカ文明は消滅しました。

しかし、ペストの災厄はこれで終わったわけではありません。というか、序章に過ぎませんでした。

東アフリカから北へ向かう船に、ネズミたちは紛れ込みました。あるいは現地で感染した人も乗り込んでいたかも知れません。

541年、東ローマ帝国の港町ペルシウム(ナイル川河口にあった港町。東アフリカと中東との貿易拠点でした)で、ペストが発生しました。

ペストは発達した帝国の交通網を伝って、瞬く間にヨーロッパ、中東へと広まっていきます。

東ローマ帝国総人口の、1/3を死に至らしめる災厄の始まりでした。






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Last updated  2013.12.21 13:45:03
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