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カテゴリ:旅行・史跡など
最近、ブログ更新のペースが落ちていますねぇ。どうにも気力が足らない感じです。特に心臓が悪いわけではなく、コロナウイルスや鳥インフルエンザに罹ったわけでもないんですけどね(汗)。
毎日更新されている方々がすごいなぁと感じます。 ちょっと間が空きましたが、先日行った深大寺城の話を、ぽちぽち書いていきたいと思います。 深大寺城は深大寺のすぐ近くにあります。ちょうど神代植物公園のあたりですから、寺の目と鼻の先です。 さて深大寺城ですが、一般の方がイメージするような石垣も天守閣もありません。また、技巧を凝らした虎口もなく、歴史に詳しくない方から見たら、拍子抜けする人も多いかもしれません。 深大寺城は、戦国初期、天文年間(1530年代)に扇谷上杉氏によって築城されました(ただし扇谷上杉家の誰が、縄張りや普請を担当したかは不明です。またおいおい書いていきますが、未完成のまま放棄されています)。 この時代、日本はまだ石垣の技術はなく、鉄砲もない時代でした。それだけに古い戦争時代の古い技術によってつくられた城だです。 その意味では、築城技術の変遷を見ていけるものとしては、貴重な遺跡といえます。 ただし、深大寺城は、全体が残っているわけではありません。 深大寺周辺は、1970年代に土地開発が急速に進み、遺構の大部分が失われています。 残っているのは、第一郭と第二曲輪周辺のみです。 まぁ、調布市と言えば、東京の市街地ですからねぇ。残念ではありますが、仕方ありませんね。 一方で幸運な点としては、都市開発が進む前に、可能な限りの調査が行われており、資料が多く残されている点です。 遺構は無くなり宅地化されてしまいましたが、過去の全体像は把握できています。 これは東京で大学や研究機関が多く予算も確保でき、交通の便も良くて、調査のために人員を集められた好条件ゆえに、壊される前に大がかりな調査を行えた結果です。 地方の同様の都市では、大学や調査機関も遠く、予算もないために大きな調査も行われないまま壊された遺構や、今も朽ち果てたままのものも多くあります(その場合、「〇〇城跡」という石碑や看板で終了という場合が多いです)。 それを鑑みれば、往時の姿を失ったものの、深大寺城は、比較的幸運な城だと言えるかもなと思います。 水生植物園側から見た深大寺城です。 小高い丘上になっている部分が城です。 写真ですが、下は2015年5月ごろに遊びに行った時の写真です。その頃は普通に電車とバスで行ってきました(笑)。 今回行ってきた写真と、前回の写真をつなぎ合わせながら見てみたいと思います。 登り口はいろいろあるんですが(舗装された通路もあります)、水生植物園通路端にある木道から上がっていくことにしました。 登りきったところのスペースです。 見た感じ、郭だなと思って歩いていたところ、案内板で「第一郭」跡であることを確認しました。 ちなみに、「第一郭」という名称は、研究者が付けた名前で、築城者たちのつけた名前ではありませんのでご注意ください。 石碑です。 たぶん、知らない人は、この石碑と、近くにある復元された堀を見て初めて城だと気が付いて、驚くのではないかなぁと思います。 石碑近くにある案内板です。これを見て、自分が歩いてきたのが、第一郭跡であることを確認しました。 説明文にもあるように、ここが深大寺城の本丸に当たる部分です。 ただし建物跡はあまり発見できなかったことから、大きな建物はなかったと推測されています。 案内板の上が櫓跡のようです。 今は木が多い茂り、見渡しが良くないのでわかりづらいですが、この櫓は、第一郭の外側にある第二曲輪の側面を瞰制(かんせい。周囲を完全に見渡せる高所)できる位置にあります。つまり、曲輪を突破して、第一郭に迫ってきた敵兵を、横から矢を射かけることができる構造になっています。 復元された堀・土塁跡です。 第一郭を囲むようにありましたが、復元されているのはその一部です。 堀の中から土塁を見上げて撮った写真です。わかりづらいですね(汗)。 深さは2mちょいある感じでしょうか。 ちなみに堀と土塁は、当時の完全な形では復元されていません。 というのも、深大寺城の堀は、薬研堀(やげんぼり)と言われる形状であったと考えられているためです。 薬研堀は、鋭角、漏斗状に掘られる形式の堀なので、もしその形式で復元された場合、たぶん堀に落ち込んで怪我をする方が続出するでしょうね。 城の防御としてこの堀を見た場合、攻撃側は土塁を超えようとして足を滑らせて、堀に落ち込んで身動きが取れなくなります。 上がろうにも狭くて、土がボロボロ崩れるため、いわば蟻地獄にはまった状態となります。 そこに防御側が矢を射かけたり、石を投げ込んだりされたら、まず脱出できません。 そういう構造になっているのです。 角度が悪いですが、土塁の上から撮った写真です。 土塁は掘って出た土で作られていたと考えられます。それによって、残土の利用と、労力削減も出来ます。 (後半に続きます)
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