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カテゴリ:大正期・新現実主義
『恩讐の彼方に・忠直卿行状記』菊池寛(岩波文庫) 菊池寛の最大の功績といえば、誰がなんと言っても、「芥川賞・直木賞」の設立でありましょう。それ以外にないと言いきってしまっていいと思います。 先日こんな記事(確か何かの雑誌記事じゃなかったかと思います)を読んだんですが、福沢諭吉の業績は、現在では「慶應義塾」の創設以外にはない、と。 菊池の件と会わせて、少々極端な言い方でありますが、逆に、教育とか後進を育てる事の、歴史的にいかに重要かを物語っていますね。 教育とはまさに国家百年の計ですね。 と、まぁ、現在ではほぼ評価される事のない菊池寛の短編集であります。 「評価されない」と書きましたが、何年か前にテレビの「昼メロ」で、何でしたか、原作になりませんでしたっけ。 まぁ、「昼メロ」というだけで、評価の限界が見て取れるような気もしますが(あ、これ差別的発言!?)、でも、菊池寛の小説は、ほとんどが「テーマ小説」である故に、とても読みやすい事は事実です。 何より作者の言いたい事がよくわかります。 例えば村上春樹の一連のベストセラー(出る本出る本みんなベストセラーですがー)に比べて、はっきり言って、読み終えた後に「わかった!」と言える実感の度合いが、全然違いますね。 村上春樹の場合は、読者の方にかなり逡巡があります。 「分かったって言わなきゃなんないのかな。流行りの作家だもんな。そういえば、分かったような気もするもんな。このセックスの描き方って、マジうまいもんな。あ、俺、村上春樹、分かってんじゃん。」 というように、本当はさっぱり分からない「村上ワールド」に対して、読者の方がおずおずと歩み寄ってくれます。村上春樹って、幸せな作家ですね。 さて閑話休題、菊池寛の上記の本ですが、実は僕はこの本の前にこんな本も読みました。 『滝口入道』高山樗牛(岩波文庫) この本も、菊池の短編集同様、時代小説です。 樗牛の本は薄い本ですが擬古文なので、慣れればリズムが何とも快いのですが、その世界に入っていくのに少しだけ時間が掛かりました。 さらに少し前に、田山花袋の短編集を読みました。 その中にも時代小説が幾つかありましたが、こうして読み比べてみると、菊池寛のが一番堂々としているような気がしましたね。 それはきっと、菊池寛が全く「文学青年」じゃないからでしょうね。花袋は一番「文学青年」っぽいですね。かなり「軟派」です。 樗牛はどうだったのか。残念ながら、早世しましたね。解説文によると28歳で死んでいますね。だとすると、早熟ですねー。それとも時代なんでしょうかね。 森鴎外の、例の有名な『舞姫』を含む「ドイツ土産3部作」なんかも、かなり若い時期の作品ですものね。 とにかく菊池寛のが、一番堂々としています。 ついでに書けば、菊池がこれらの短編小説で否定していた(軽蔑していた)のが、いわば『滝口入道』的世界ですね。 『滝口入道』は、こんな話です。 身分違いのために結婚できない男女。そして別々に出家し、女は時を移さず死んでしまう。男はそれに主従のしがらみが絡んできて、最後は腹を切って死ぬ。 これは、菊池が、いいかえれば大正時代のリベラルな雰囲気が、否定した旧時代の倫理観ですね。 しかし、面白いのはその「否定」の仕方で、集中の『三浦右衛門の最後』とか『忠直卿行状記』などはそれが本当に徹底していて、僕は読みながら「菊池寛という人はサディストではないか」と思ったほどでした。 ところが『恩讐の彼方に』では、わりと甘い「浪花節」なんですね。 このへんの「落差」をどう評価するかが、菊池寛の評価のポイントになっているのように思います。 うーん、失礼ながら、やや一面的、深みに欠ける、かな、と、少し、まー、思わないでも、ありません。 しかし考えれば、森鴎外も芥川龍之介も「テーマ小説」を得意としましたが、菊池寛ほど「やや薄っぺらい」という感じは抱かせません。 うーん、この違いは何でしょうねー。 まー、結局は「文学」に対する取り組み方の違い(期待度の違いといってもいいかも知れません)かなと、思います。 菊池寛は、彼自身の生涯を見ても、さほど文学に期待をしていなかったような気がします。 そんな本です。明治のあたりの小説を続けて読んでいると、そんなに高い評価の作品でなくても、それはそれでとっても面白いと思います。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 /font> にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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