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analog純文

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2009.09.15
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  『白髪の唄』古井由吉(新潮文庫)

 上記小説の報告の後編であります。前回の報告のポイントは二点でした。

 (1)「何も次々と新しいものが出てくるわけではない」
 (2)「『全快』快感のない老人の病気状態に準ずる様な老人の話」

 ふーむ、言いたい事はほぼ終わっていますね。
 えらいものです。

 さて、この筆者は、日本文学史的な位置づけで言うと「内向の世代」と呼ばれる人々の一人になるんでしょうね。文学的出発としては大江健三郎氏なんかの後になります。

 このグループの人々はそもそもが、日常の不安定な人間関係をテーマにとることが多いようですが、古井氏もそんな作品が若い頃からたくさんあったように思います。

 確か芥川賞を受賞した作品もそんなのでした。これですね。

   『よう子・妻隠』古井由吉(新潮文庫)

 この作品、早い時期に三島由紀夫が絶賛していました。
 三島に習わずとも、一読、「凄さ」の感じられる小説であります。
 ちょっと先に、この小説の話を少ししておきたいと思います。

 さて、もはや少し「うんざり」なんですが、『よう子』の「よう」の字がまた出ません。
 「木」を書いてその下に「日」を書くんですが、確かに、僕はワープロソフトに憤ってはいるんですが、そういえばこんな字、あまり見ませんね。
 漢字辞典を調べたんですが、

  (1)ぼんやりしたさま (2)暗い (3)深い

 とありました。
 うーん、そのままの女性ですね、主人公の女性は。

 というより、この女性は(ひょっとしたら今はこんな言い方はしないのかも知れませんが)、「自閉」の女性なんですね。大学生です。
 その女性とつき合っているのが「彼=S」であります。「よう子」の病を治そうとしているようなしていないような、というのは、実は間違いなく「彼」の中にも、「よう子」と同じ要素があるからです。

 この二人の、なんともイメージの分厚い、腐る一歩手前の果実のような日々が書かれています。
 これはかなりの力作です。筆者の才能が、ビンビンと伝わってくるような作品です。

 上述しましたように、筆者はこの作品で芥川賞を受賞しましたが、芥川賞にとってもこの受賞者は大いに「あたり」ですね。
 (「あたり」というのは、同じ芥川賞受賞者でも、その後の活躍ぶりから「はずれ」の受賞者が結構いるからですね。でもこれも当たり前ではありますが。)

 もう一つ作品『妻隠(つまごみ)』も、まるで心象風景的には『よう子』の続編のような作品です。
 主な登場人物は若い夫婦。この二人が、「よう子」と「彼」の心象的未来の姿ですね。
 ここにも濃密なねっとりとしたふたりの「病的」なやりとりがあります。

 この2作は、さて、やはり「恋愛小説」なんでしょうかね。
 見てくれ、ストーリー的にはちっとも幸せそうではないのに、でも、あれこれ考えてみると、なんだか「これはこれでひとつの幸せの姿ではないか」と、まるで怖い物見たさのように思えてきます。不思議な小説です。

 それはつまり、この作者が、強靱な小説世界を作り出しているということで、今となれば「内向の世代」の中で最も「大家」に近い作者であるゆえ、当たり前とは思いつつ、極めてオリジナルな、確固たる才能を感じさせる作品となっています。

 さて、冒頭の『白髪の歌』に戻ります。
 デビュー作当初から大いに実力を発揮した「大家」が、その後文学的経験を積むと同時に自らも実年齢を重ね、「老い」をテーマに書いたのが、この小説であります。

 読んでみました。で、うーん、みごとによくわからない小説でした。
 それが、「まったくわからない」んじゃないんですね。「よくわからない」んですね。
 なんとなくわかるような「瞬間」もあるような気がするんですね(そしてそんな場合は大概気味が悪い描写なのですが)。

 60歳くらいの主人公を中心に、同年齢の人物が2人出てきて、彼らがとっかえひっかえ出会っては話をするという、実にそれだけの話なんですね。で、する話が過去の話なんです。
 幼かった頃、戦争中、若さ溢れる頃などの話です。

 そしてそこからえんえんと、現在と過去、現実と夢、あったこととありえたこと、妄想と狂気、生と死、老いと病、などが組んずほぐれつ、蚕が糸を吐くように、境目を持たずにずるずると続くわけです。(また、主語を極端に省略した文体がとても効果的に。)

 これはなんといいましょうか、なんか、ぬるーいお湯にずーと浸かり続けているような、ねばーいものを体中ににゅるにゅると塗りつけられているような、なんとも曰く言い難い皮膚感覚の小説でした。(またこれが、長い。文庫本450ページです。)

 しかし、トータルとして述べますと、僕はこの本にわりと「プラス」の印象を持ったんですね。
 結局、「老い」を現場から中継するような形で報告してゆくには、この形が一番有効なのじゃないかと。これは一種の「したたかさ」の形なのではないかと。

 文庫本の解説文に「書きつつ狂う」とありましたが、もしも文学に、科学よりも優越する分野が残っているとすれば、「老い」のごとき、まさに「酔生夢死」な分野の現場中継にこそ、文学のアドヴァンテージがまだあるように僕は思うんですが、いかがなものでしょうか。
 そんな小説でした。

 「『老い』に『全快』なし。されど安心したまえ。それはあなただけの話ではない。」


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Last updated  2009.09.15 06:28:44
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