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analog純文

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2009.11.10
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  『砂の上の植物群』吉行淳之介(新潮文庫)

 「精神的不安定が生み出す、間歇的に訪れる肉体上の異変」

 うーん、この一文はちゃんとした文になっているんでしょうかねー。
 これは、今回の報告する小説にしばしば出てくるシチュエーションを、まとめたつもりの一文なんですがー。
 本文においては、こんな具合で出てきます。

 そのとき、にわかに伊木一郎は躯に異変を覚えた。立暗みに似た気分だが、ふしぎに病的な感じではない。
 彼は部屋の隅の椅子に腰をおろした。異変はつづいており、躯の奥底でかすかな海鳴りに似た音がひびき、それがしだいに大きくなり、広い幅をもった濃密な気分が轟々と音を発して彼の躯の中を縦に通り過ぎた。膨らみ切ったたくさんの細胞が、一斉に弾け散ったような音がそれに伴った。


 えー、今となっては誠に恥ずかしい事をここで告白しますが、この様な状況に、昔、わたくし、ひじょーーに憧れましたねー。

 しかし現実には、我が肉体にこの様な繊細な「文学的」な反応は起こるはずもなく、ひたすら健康的にいつも腹が減っていた事を思い出すばかりであります。

 さて今回、この小説を多分33年ぶりに読みまして、私事ながら、実にいろんな「若気の至り」を思い出しましたねー。

 ついでですから、少し細部に拘っておきますが、上記の引用部の中の「躯」は、原文では「身」の右に「區」と書く旧字体です。これも上記引用部に出ている「細胞」という単語と並んで、吉行淳之介の自家薬籠中の表記と表現であります。

 えー、実に懐かしいんですが、改めて落ち着いて考えますと、この小説はまさに「青春小説」という感じが致します。それは、私にとってそうだという意味ではなくて、書かれている内容がまさにそうだという意味でです。

 主人公は、妻子のある40歳前の化粧品のセールスマンですが、彼の体に起こる上記のような状況とか、全編を貫く父との確執とか、どう考えても、これは「青春小説」としか思えません。
 だから多分、かつての私は、上記のような状況にひどく「憧れた」んだと思います、今になって考えてみますと。

 もう少し順を追って考えてみますね。

 この小説には、大きな要素として、変態的な性関係がいくつか出てきます。代表的な物は、痴漢行為とマゾヒズムでしょうか。
 私も、若かりし頃の読書においては、かなり興奮した記憶があります。

 (あのー、どうでもいい、ついでの話なんですがー、小説中の痴漢行為が書かれている個所を読んでいました時、たまたま私は阪急電車京都線の二人がけのロマンスシートに乗っておりまして、なぜか偶然隣に座っていたのが妙齢の女性だったもので、思わず自分が痴漢行為をしてしまいそうな際どい感覚になった事を、今に至るまで覚えておりますから、まったく私って、どうしようもない馬鹿ですねー。)

 しかし、これらの性的な表現について、もはや衝撃性がかなり薄れてしまった現在、それらを取り払って落ち着いて読んでみると、上記にもありますように、この小説は、実に一本道に歩む「教養小説=ビルドゥングス・ロマン」である事が分かります。

 それらの性的出来事は、青年期特有の「不健康さ」ではあっても、「頽廃=性的頽廃」ですらありません。
 主人公は女性との性関係を通じて、実に真摯に「自分探し」をしています。

 そして、その「自分探し」にめどが付き、これ以上の性関係が「性的頽廃」にずり落ちそうになる時、小説は終末を迎えるという構造になっています。

 うーん、この小説は今でも大いに読まれているんでしょうか。
 永遠の青春小説として、いつまでも読み継がれる事を、私は願ってやみません。

 ところで、それはそれとして、私はまた昔の恥ずかしい事を思い出してしまいました。
 それは、かつて私が殴り書いていた「小説」が、思いの外にこの小説の影響下(これはもう「剽窃」?)にある事が、この度改めて分かったことでありまして、うーん、これは「若気の至り」ではすまされんなーと、慚愧に堪えない思いであります。
 私は謹んで今日一日、反省いたす所存であります。はい。


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Last updated  2009.11.10 06:26:00
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