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2016.10.10
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  『庭のつるばら』庄野潤三(新潮文庫)

 確か15年ほど前に近所の図書館にありましたから、今でも次々と続巻が出ているのかなと思うのですが、何の話かといいますと、『芥川賞全集』というタイトルの「全集」であります。どうなんでしょ、今でも新しい芥川賞受賞作品をまとめて何年かに一冊ずつ発行しているのでしょうか。

 という話題を書いたのは、私が本書を読む以前に唯一筆者の小説で読んでいたのは、芥川賞受賞作の『プールサイド小景』だけだったという話であります。
 しかし今までに短編小説たった一作だけ読んでいる作家というのも、たぶん、中途半端にとってもレアなケースのような気がしますね。

 で、40年ほども昔に読んだたった一作の短編小説の感想の記憶は、もちろん私の中にほぼ何も残っていません。
 ただ、庄野潤三が芥川賞を受賞した時期のおよそ前後5年間くらいは、後日「第三の新人」と呼ばれる作家達がほぼ独占しており(ちょっと調べてみましたら1953年上半期の安岡章太郎から1957年上半期の菊村到までですか。おやっと思ったのは、この間に石原慎太郎も受賞しており、また、菊村の次が、開高健、大江健三郎と続いていることもなかなか興味深いですね。)、よく似た作風の小説をいくつか連続して読んだ中で、これは悪くないと思った記憶だけがかすかながら残っています。

 さて、半世紀ほども時が流れこの度の読書に当たって、若い頃一作だけ読んだ小説のぼんやりした印象が「悪くない」であったとしても、いくらなんでも間が離れすぎているだろう、ピカソだったらその間に3つ4つ作品の個性を変えているぞと、少々不安なわたくしでした。

 そこで新潮文庫裏表紙の作品紹介の文章を読んでみると、「丘の上に二人きりで暮らす老夫婦と、子供たちやたくさんの孫、…(略)…どこにもある家庭を描きながら、日々の生活から深い喜びを汲み取る際立った筆致。(略)庄野文学五十年の結実。」とあります。

 なるほど、「庄野文学五十年の結実」なんだなと納得し、それではと読み始めたのですが、早々に、えー、こんなのずっと読んでいくのかー、と、思ってしまいました。
 例えばこんな感じ。

 午後、妻は、
「『夏は来ぬ』は、誰が作ったと思う?」
 と訊く。
「佐佐木信綱」」
 というと、妻は驚く。こちらはふっと名が浮かんだ。古い方というのは分るが、何をしていた人なのか知らない。国文学者か。妻は、
「『水師営の会見』もこの人」
 という。(文庫81ページ)

 昨日に続いて「夏は来ぬ」。歌い終わって妻は、「いい歌ですねえ」といい、作者の佐佐木信綱をたたえる。「水師営の会見」の作者でもある。どんな経歴の方だったのだろう?
(84ページ)

「夏は来ぬ」を吹き、妻はおしまいまで歌う。今日は「あうち散る」のところで笑い出さなかった。「いい歌ですね」と、終って、二人で佐佐木信綱をたたえる。「水師営の会見」も佐佐木信綱。どんな方であったのだろう? 今度、童謡や唱歌に詳しい阪田寛夫に会ったら、訊いてみよう。(101ページ)


 山田風太郎が『人間臨終図巻』の中で武者小路実篤の臨終を描いています。その中に、亡くなる数年前から武者小路の文章は「一回転ごとに針がもとにもどるレコードと化した」ということを書いていますが、まさか同じではありますまいが、これって、どうなんでしょうねぇ。

 そんな風に一つ引っかかってしまうと、書かれてあることすべてがごつごつと当たってきました。
 これは決して文庫本裏表紙にあった「どこにもある家族」などではなく、インテリゲンチャがそれなりに功をなし名を遂げた後のプチ・ブルの日々が、日本文学特有の「私小説」の名のもとに描かれているが、小説と呼ぶにふさわしいものかかなり疑問が残るなとか、主人公の感情は「ありがとう」「うれしい」「おいしい」しか描かれておらず、全くお気楽な「随筆」もどきにすぎないんじゃないか、などと。

 実際私は、ちょっとまいったなーと思いつつ、それでもせっかく読み始めた本なのでこの「緩い」ストーリーを追いかけていったのでありますが、真ん中過ぎあたりから、はて、これはちょっとおかしいな、と感じてきたのであります。

 それは、本当に主人公の感情が「ありがとう」「うれしい」「おいしい」しか、見事に書かれていないことで、いくらなんでもこれは無自覚にそうしているのではないだろう、と。
 例えば、仕事のことも全く描かれておらず、また不愉快な出来事もまるで書かれていないのは、これは実に巧妙にそれらの感情が省かれているのではないか、と。

 そう思って上記の「佐佐木信綱」のシーンを改めて読んでみると、主人公76歳の男性と妻の、これはひょっとしたらまれにみるようなリアリズムの小説ではないのか、と。

 ……うーむ。
 小説というジャンルの作品が、事実に即して描かれていてもそうでなくても全く何を書いてもいいジャンルであることを前提としつつ、それでも、何らかの日常生活(感情)の「裂け目」の瞬間を表現するくらいは最低条件であろうと考えているわたくしであります。
 本作が、もしも上記に気づいたように巧妙なリアリズムを描いているとすれば、それはあたかも谷崎潤一郎の最晩年の傑作『瘋癲老人日記』に匹敵するような作品と評価することもできそうに思え、しかし、……うーん、どうです? 本当にそんなまれにみる「策略」の作品なのでありましょうか。

 しかし、ともあれ、作品内に主人公の不快な感情が全く描かれていないことは明らかであり、それは言うまでもなく一つの意図の許、客観的に作品が構成されているということであり、それについては、上述に散々失礼とも思える感想を書きましたが、撤回するにやぶさかではないとわたくしは感じたのでありました。


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Last updated  2016.10.10 16:07:28
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