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カテゴリ:大正期・新現実主義
『羅生門・鼻・芋粥・偸盗』芥川龍之介(岩波文庫) 新聞だったか何かで読んだんですが、教科書から夏目漱石、芥川龍之介の小説教材が姿を消した、と。 もちろん全ての教科書からそれらが一斉になくなったわけではないでしょうから、これで一気に漱石・芥川の小説を読む授業機会が失われたわけではないと思います。 また、これも昔からよく言われていることですが、教科書に載ったりするから面白くなくなるのだ、と。授業なんかで、たどたどしい手つきで「腑分け」みたいなことをするから、その小説はつまらなくなってしまうのだ、と。 確かに、森鴎外なんかは『舞姫』が教科書に載っている(載っていた?)せいで、すっかり敬して遠ざける作家になってしまったような気がします。 『舞姫』もしっかり読めば、とても色っぽい面白いお話だ(同棲していた女性が妊娠したと分かったとたんに捨ててしまう話ですから)と言うことに気がつくんでしょうが、いかんせん、あの擬古文は、ちょっと辛いですよね。 お弁当を食べた後の、午後の授業の辛かった事を、何となく思い出します。 さて芥川の基本中の基本『羅生門』です。 あと、芥川の基本といえば『蜘蛛の糸』『杜子春』『トロッコ』あたりでしょうかね。 でも今挙げた三作が、まぁ、中学校までであるのに対して、『羅生門』は、高校教科書でしたよね。 今回、この短編集を読みまして、なるほどね、と少し納得しました。 『羅生門』と『鼻』、デビュー作と、有名な漱石の激賞小説ですね。 今回、ちょっと気合いを入れて読んでみましたが、なるほど、若い芥川の才気に溢れた作品だなと、とても思いました。 芥川は、かなり自信があったんじゃないかと思います。 例えば梶井基次郎の『檸檬』が、その時代、とても「バタ臭い」小説として読まれていたように、この王朝物語の「パロディ」は、とても都会的でハイカラで、そして優雅だと感じました。 そして、なぜ『羅生門』が高校生向けなのかということですが、『鼻』も含めて(あるいは『鼻』のほうがより強く)、これらの小説には、かなり強い「ニヒリズム」が見られるように思います。 これは、人間の心理、ということは、人間の存在そのものに対する、かなり根深いニヒリズムだと感じました。 一種の「緊急避難」状況下での、それでも骨絡みになっているエゴイズムのいやらしさですかね。 こういうものをずっと見続けねばならない精神には、ちょっと息のつけるところがないんじゃないでしょうか。 まさか、デビューしたての芥川に、晩年の自らの状況が予測されたとは思いませんが、まさしく彼の小説作品には、最後の『歯車』あたりまで、一本の線に連なっているように思いました。 一方、『偸盗』ですが、これはこの短編集の中で最も面白かったです。 ここには、作品がもっと膨らんでいく可能性を持っていたであろう、複数のストーリーの絡み合ったおもしろさがあります。 ただ、どうなんでしょう。ちょっと、「根元的」な話なんですが、芥川は、本当に長編小説が書けなかったんでしょうか。 あれだけ、短編小説についてはあらゆる技巧を駆使した芥川に、長編小説が残っていないと言う事実が、それを物語っているとは思いますが、うーん、「書かなかった」んじゃないですよね。(まぁ、両者にさほど違いがあるとは思いませんが。) 『偸盗』はとても面白い小説でしたが、しかし読み終わるとどこか不十分で、いわゆる「短編小説の悲しさ」みたいなものを感じました。 例えば芥川と同時代人(少し芥川の方が後輩)で、「ライバル」でもあった谷崎潤一郎を、ここに比較すると、その差は明らかです。 『偸盗』の登場人物、「太郎・次郎・沙金」の三角関係に近いものを描いている谷崎作品に『卍』がありますが、ストーリーの展開において、谷崎の二枚腰・三枚腰、粘りに粘って、読者を次々に欺きながら強引に進めていくあの「粘着性」が、芥川には見られません。そんなところ、芥川は都会的で繊細で、そしてとても淡泊です。 この作品は、芥川自身、素材については気に入っておりながら、作品としては不満足なものとして改作の意志を持ちつつ、生前の全集には未収録であったと。 しかし、その意志が実現されなかったと言うところに、芥川の一種、「悲壮感」の漂う人生の佇まいがあったような気がします。 最後に残った『芋粥』ですが、これは、全体の作りが少しいびつな感じがして(例えば、利仁の扱いや狐の扱い)、余りよく分からなかったです。 テーマが、「望みは叶わないうちが華」というだけでは、少し弱いと思いました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 /font> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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