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2010.05.13
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  『歯車』芥川龍之介(岩波文庫)

 上記作品の読書報告の後編です。
 本短篇集には、以下の三作が収録されています。

   『玄鶴山房』・『歯車』・『或阿呆の一生』

 前回の報告では、そのうちの『歯車』を取り上げ、読後、二つのことを考えた(あるいは、疑問に思った)として、その一つ目に触れていた途中でした。(考えれば中途半端なところで前回は終わっていまして、どーもすみません。)

 それは、後半をフォローしながら一言で云うと、『歯車』は「壊れかけた理性」を描いている作品だが、果たして芥川の理性は本当に壊れかけていたのだろうか、ということであります。

 狂気を描く小説というものは、実は、結構ありますよね。
 小説家は、どういうものか、「狂気」に対してかなり、神経質なくらい敏感ですね。やはり何か思うところというか、恐れるところがあるんでしょうね。分からないことないですね。

 そんな中で、僕が狂気を描いて第一級と思っている小説に、色川武大の『狂人日記』がありますが、確か山田風太郎がこの作品に触れて、「壊れた頭を描く壊れていない頭」と述べていました。

 当たり前ですが、「壊れた頭」では「壊れた頭」は描けません。
 とすれば、『歯車』等を書いた時点で、芥川の理性は本当に壊れかけていたのでしょうか。ひとつそれが、疑問に残りました。

 もう一つ読後に思ったことですが、上記の三作の内、芥川が生きている間に発表されたのは『玄鶴山房』だけなんですよね。

 なるほど、この作品はとりあえず作品として「体」を成しています。
 死を近くに控えた老人堀越玄鶴とその家族の、鬼気迫るような、粘抽度の高いストーリーと描写は、人生の意味に絶望的な晩年の筆者の視点とそのまま重なって、奥行きのある作品となっています。力作です。

 しかし、『或阿呆の一生』はどうなんでしょう。
 これは、作品として発表に値する作品なんでしょうか。
 本作は冒頭に、久米正雄宛の私信の様な一文(遺書)が付いていまして、それによると、この原稿を発表するか否かは君に一任する、とあります。

 この一文は何でしょうね。
 普通に考えると、こんな一文付きで遺稿を預かった友人の小説家は、まー、例えばそんな人が仮に十人いたとしたら、たぶん十人が十人とも発表するんじゃないでしょうかね。

 カフカの友人なんか、死ぬ前のカフカから全部燃やしてくれと言われていた原稿を、そのまま全部発表しちゃったんですから。
 でもそのおかげで、人類は二十世紀文学に、実に肥沃なフィールドを一つ手に入れることができましたんですけどー。

 閑話休題。芥川は多分、この作品に自信がなかったんでしょうね。
 つまり発表するに足りるものかどうかの。

 本作の最後の断片「五十一 敗北」にはこう書かれています。

 彼はペンを執る手も震へ出した。のみならず涎さへ流れ出した。彼の頭は〇.八のヴェロナアルを用ひて覚めた後の外は一度もはつきりしたことはなかつた。しかもはつきりしてゐるのはやつと半時間か一時間だつた。彼は唯薄暗い中にその日暮らしの生活をしてゐた。言はば刃のこぼれてしまつた、細い剣を杖にしながら。(『或阿呆の一生』)

 この表現の中に、晩年の筆者の痛々しい姿を見ることは可能ではありましょうが、例えば、三島由紀夫が、太宰治に対してコメントした、彼の苦悩の何割かは朝きちんと起きて乾布摩擦をすることで解決する種のものであるといった趣旨が、そのまま当てはまると考えられないこともありません。

 しかしご存じのように、三島由起夫は最後、太宰的あるいは芥川的理性の崩壊は経験しなかったかもしれませんが、三島的な透徹した理性のせいで、結局は三者同様の死に方になってしまいました……。

 うーん、なかなか難しいものですねー。


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Last updated  2010.05.13 06:44:35
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analog純文@ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
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