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2010.05.25
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カテゴリ:明治期・写実主義

  『平凡』二葉亭四迷(新潮文庫)

 この本は僕は再読です。二年ほど前に確か初めて読みまして、その時は結構面白がっていたんですね。その理由は二つです。

 (1)この小説は『トリストラム・シャンディ』じゃないか、という興味。

 小説というのは面白いジャンルで、十八世紀あたりからわっと広がった新しい形の表現形態だそうなんですが、できたての頃に、すでにその枠組みを内部から壊そうとするタイプの作品が生まれてるんですね。
 その一つが、イギリスの作家ローレンス・スターンが書いた『トリストラム・シャンディ』という小説であります。

 主な特徴としては、一貫したストーリーの欠如で、現代の言葉で言うと「メタ・フィクション」ですかね。何でもありーの小説です。二葉亭のこの作品にも、例えばこんな表現があります。

 ……が、待てよ。何ぼ自然主義だと云って、こうどうもダラダラと書いていた日には、三十九年の半生を語るに、三十九年掛るかも知れない。も少し省略ろう。
 で、唐突ながら、祖母は病死した。


 こういうのはどうなんでしょうね。極めて現代的な感じがしますが、案外、そのジャンルの黎明期の方が、そのジャンルの成立に尽力したような人が、あっさりとこんな事を書くのかも知れませんね。少しそんな気もします。

 そして、これも関係するのですが、二つ目の理由。

 (2)文体がほぼ完全な言文一致をなしていること。

 この作品は、1907年(明治40年)に東京朝日新聞に連載されています。
 この作品の連載の前に、同じ東京朝日新聞に連載していた小説は、夏目漱石の『虞美人草』です。漱石が、最初の「リアリズム小説」『三四郎』を書く約一年前であります。
 ちなみに森鴎外が最初の口語体小説『半日』を書いたのが、1909年(明治42年)です。二葉亭の口語文章力が、いかにこの時代において突出していたかが分かります。

 本文の中に、飼い犬の「ポチ」が殺されてしまうというエピソードが出てきます。
 二葉亭自身がとてもかわいがっていた愛犬の死が実際にあった直後のようですが、そのポチについての描写は、実に丁寧で瑞々しく、犬好きの者でなくとも、その犬に好意を抱いてしまうほどの達者な文章であります。

 という、大体二つの理由で、僕は初めてこの作品を読んだときは面白がっていたんですが、今回読みなおしてみて、少し辛いところがありましたね。

 その理由は、一言で言うと、要するに、作者のパッションが伝わってこないということですね。
 表現として極めて達者なものであっても、作者の中に、何というか、やはり高い志がなければ、作品は冷笑的なシニカルなもの、いささか不真面目さの感じられるような投げやりな感じのものになってしまうということですね。えらいものです。

 ではなぜ、この時期の筆者が、小説執筆について「なげやり」であったかについては、かつて本ブログでも紹介致しました、中村光夫の『二葉亭四迷伝』に詳細な説明があります。
 それを僕なりにまとめますとこうなります。
 
 結局二葉亭は徹底的な「眼高手低」作家であった、と。いえ、もう少し厳密に云えば、自分は「眼高手低」な作家であると、彼自身が一番に思っていた作家であったと言うことです。

 彼は自らの「眼高手低」の基準を、明治の中頃、わが国ではまだ近代小説は産声を上げたばかりでしかなかった頃に、ロシアのトルストイとかそのあたりの大巨人と比較して、自らの小説についての才能不足を嘆いていたんですね。

 うーん、しかしこの一種誇大妄想じみた観念も、ここまで来るとやはり普通の型には納まりきらない、優れた偉大な「個性」としかいいようがありませんよねー。

 泣きながら書いたと言われる『平凡』は、結局尻切れトンボのように終わります。
 その翌年(1908年)、以前よりの念願が叶って、二葉亭は朝日新聞特派員としてロシアに赴任、ペテルブルグへ行きます。
 しかし体調を壊したこともあって充分な結果を残せず、翌1909年、船での帰国途中、ベンガル湾上で客死します。

 この不思議な明治の「文豪」の享年は45才、死を惜しまれるナンバー1作家・漱石よりもまだ4才、年下でありました。


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Last updated  2010.05.25 06:40:40
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analog純文@ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
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