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カテゴリ:昭和期・第三の新人
『海辺の光景』安岡章太郎(新潮文庫) 上記作品の読書報告の後半であります。 前回報告していましたのは、七つ入っている小説中、その六つまでの小説について、えー、少し申し述べにくいのですが、ちょっと僕としてはつまんなかったかな、という事を書いてしまいました。 (もちろん、我が読解力不足による誤読も多かろうとは思ってはいますんですがー。) しかし、本短編集の分量バランスで言いますと、全240ページ中、六編の小説をみんな合わせても110ページでありまして、ご安心あれ、過半を占める130ページは、なかなかの力作、いえ類い稀なる傑作、総題にもなっている『海辺の光景』であります。 今回はこの小説のご報告を一席。 ふだんから父は存分に時間をかけて咀嚼する方だ。ひと口ひと口、噛みしめるたびに、脱け上った広い額の下で筋肉の活動するさまがハッキリ見える。乾いた脣のはしに味噌汁に入っていたワカメの切れはしが黒くたれさがっているのも知らぬげに、口は絶え間なくうごいており、やがて噛みくだかれたものが食道を通過するしるしに、とがった喉仏が一二本剃りのこされて一センチほどの長さにのびた無精ヒゲといっしょに、ぴくりと動く。まるでそれは機械が物を処理して行く正確さと、ある種の家畜が自己の職務を遂行している忠実さとを見るようだ。 まずこの圧倒的な描写力に驚きますよね。 これは日本文学の系譜から行くと、どのあたりの影響関係が見えるんでしょうかね。 基本的には、やはり志賀直哉系でしょうか。ただ、志賀直哉よりは濃厚で、その分、無骨と言えば無骨な気もします。やや浪漫主義的な言葉の選び方を感じますね。 上記引用部にはあまり見られませんが、含まれるユーモアには、井伏鱒二とかあのあたりにも近い感じがします。 そして全体的には、筆者の一つ前世代の「戦後派」の描写に近いものを連想します。 そんな描写力が、まず圧倒的でありました。 そしてその描写で描かれている物語は、現代の「棄老物語」であります。 本作の初出は1959年の『群像』となっています。 1959年、昭和34年といえば、古い日本の家族観の、実質的な終わりの始まりの時期ではありましょうが、表面的にはまだまだ広く、「家父長制」を中心にした古い家族内の人間関係があったと思われます。 さて、この話の主要な登場人物は、年老いた両親と、中年にもう少し間のある独身の一人息子(主人公「信太郎」)です。 年老いた母が精神を病んで隔離病院に入院させたほぼちょうど一年後、母危篤の連絡で東京から入院中の母親を見舞いに来た信太郎は、九日間の看護の後、母を見送るという展開が骨格になっています。 そして、一年前の母の強制入院と、その後死の直前まで東京に一人暮らしのまま一度も顔を出さなかった事、すなわち「棄老」に対する、主人公の罪悪感や精神的バランスの乱れが、「母の体は衰弱しているだけではなく、もはや人間的なものを全身から完全に剥ぎとられて」いく姿を九日間見続ける中で、様々な回想場面を交えつつ描かれます。 この物語と視点には、昭和34年の作品としては、驚くべき現代性があると思われます。 上記に、「古い日本の家族観の崩壊の始まりの時代」と書きましたが、現代に直結する課題をその時代に先取りして書けた原因には、もちろん筆者の人間関係への優れた把握力がまず第一にはありましょうが、物語の設定としては、一人息子を独身にしたところにあると思います。 妻を描かなかったことが、「家父長制度」におけるもう一つの大きな課題を描かずにすませたことは明白であると思われます。作品内に息子が第三者的に逃げ出す空間を成立させませんでした。 この「欠落」が、返ってリアリティを失わせずに、「棄老」の話を可能にしたと見るのは、僕の穿ちすぎでしょうか。 もっとも、これほどの描写力=筆力を誇る筆者ですので、たとえそのような要素が現れても十分に対応できたであろうことは想像できもしますし、なるほど、少し変な言い方になりますが、「第三の新人」の本当の実力とは、このあたりのパワーを指すのだな、「うーん、侮りがたし」と、一連のこの流派の方々の顔を、僕は次々頭に思い浮かべたのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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