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2010.11.17
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カテゴリ:昭和期・転向文学

  『時に佇つ』佐多稲子(講談社文芸文庫)

 佐多稲子という人はプロレタリア文学作家です。そして、中野重治なんかと共に「転向作家」になっている人ですね。

 と、あっさり書きましたが、「転向」と言う言葉の中にある重みについては、何人かのその手の作家の本を読みましたが、なかなかに継続的に、真摯に、厳しいものがありますね。
 そしてその分、筆者のその苦しい苦闘の姿が、私たちを強く揺り動かします。

 本書はそんな筆者が晩年、昭和50年代に入って、戦前の若かりし日を思い出しつつ、あるいはその頃と今との接点を辿っていくという連作短編集です。
 そしてこれは、背筋のしっかり真っ直ぐに伸びた、とても立派な作品集であります。

 その操作にどれほどの意味があるのか、しかしある日ふいに過去が結びついてくれば、私はやはりそれを探らねばならない。ふいに戻ってきた過去は、そりなりの推移をもって、その推移のゆえに新たな貌をしている。また、そこに在るのが私だけでもない。それらのことが私を引込む。過ぎた年月というものは、ある情況にとっては、本当に過ぎたのであろうか。

 過ぎたことは案外に近い。老年のこの感覚は、今日についての麻痺でもない。今日は今日としてありつつ、いわば老年は、わが生涯の照り返しにつつまれる。それは回顧ではなくて老年の現在でもある。ひとそれぞれによって、持続する事柄の内容がちがうだけなのであろう。(略)
 そうであるなら変質もまた、時のせいではない。当の人間のせいなのだ。私は時間というものを追うているうちに、突然、今日の地点に引戻された。私は多分このとき、きつい顔になったにちがいない。

 息子の家の、テレビを前にした卓の上に、その灰皿が新しくおかれている。形見という意味をこれほどはっきりと感じたことはない。灰皿はまざまざと柿村を伝える。この灰皿に柿村がおり、そしてまた、私自身さえそこに見えてくるのだ。私の感覚がそのことでひるむ。私の、意識を通じて濾過された記憶を、この感覚が叩く。


 この様な感覚で過去を振りかえらざるをえない「運命的」な厳しさに、われわれは痛々しいまでの精神力と誠実さを読みとります。
 「私」の思い出の中心には、自分の「転向体験」が絶えず静かに強烈に影を落としています。すでに自分が体験してしまった事柄について、それをいつまでも見つめないわけにはいかないという精神の有り様は、烈しく心打たれるものであり、読んでいるこちらも思わず背筋の伸びてくるものがありました。

 以前、太宰治の小説群も「転向小説」の一種だという文章を読んだことがあります。なるほど、かなり納得するところがありますね。
 確か彼の『鴎』という作品の中に、こんな場面がありました。

 筆者を模した小説家の主人公が、人から「小説を書くに当たっての信条」を尋ねられ、ほとんどの質問に対しては、いつもぼそぼそと、どもりがちにしか答えられなかった主人公なのに、この質問に対しては打てば響くように

 「悔恨です」

と答える、そんなシーンです。

 あの、甘ったれにも見える太宰の作品群にも、「悔恨」を中心に据えざるを得ない心の有り様がしっかりと描かれています。

 ただ、太宰は人生の最後に、二日酔い的に心中自殺をしてしまいましたが、佐多稲子は、晩年まで自らの過去と心を正面から見つめ続けました。
 このことに私は、頭が下がらざるを得ません。

 とはいえ、最後に情けない泣き言を一つ。
 この短篇集には、各20ページほどの作品が12作、連作としてあります。
 すでに触れたように、どの作品も重くストレートで、烈しく揺すぶられる作品ではあるのですが、そうであるだけに、はっきり言いますと、少々重い。

 一つの作品を読み終えた後、矢継ぎ早に次の作品を読もうという気にはなかなかなれません。
 一端ページを閉じて、今読み終えた重い真摯な作品を頭の中で反芻します。
 真面目な、ひたむきな、感動的な、いい小説です。
 しかし、重い。なかなか次の作品に入っていけません。……ふぅ。

 そんなきりっとした小説を、私は久しぶりに読んだのでありました。


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Last updated  2010.11.17 06:41:18
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