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2010.12.08
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  『消えさりゆく物語』北杜夫(新潮文庫)

 のっけから私事で恐縮ですが、女房がいまして、って、まー、一応私に女房がいるんですね、ひとり。いえ、もちろん、ひとりで十分なんですが。
 で、その女房が、少し前までやたらと小川洋子の小説を読んでいるなーと思ったら、最近は打って変わって、いきなり斉藤由香のエッセイを読んでいました。
 例の「窓際OL」というやつです。

 ところが、このシリーズは今のところ新潮文庫から4冊しか出ていない上に、何といいますかー、すらすらとすぐに読めてしまうんですね。
 で、案の定読むものがなくなった後、女房がインターネットでごそごそしているなーと思ったら、3冊ほど「窓際OL」シリーズ以外の斉藤由香の本が家に届きました。

 私も少しぱらぱらと見ていたんですが、筆者のお父上の北氏が相変わらず「もう死にたい」みたいなことをおっしゃっているようです。でもまー、こういうのは、本の中の話題だからと、そんな風に私は思っていたんですね。
 そうしたら、そのうちの一冊の本に、こんなエピソードが載っていました。

 北氏(斉藤由香の表記では「パパ」ですね)に宮内庁から何かの受賞の打診があって、ところがパパはそれを丁寧にお断りしちゃうんですね。
 「せっかくくださるとおっしゃるんだから、お受けしたらよかったのに」と由香さんが言うと、「もうパパはいいの」と力弱く言ったそうです。

 こんな逸話を読むと、北杜夫の「もう死にたい」話は単なる「韜晦」だけではなさそうな気もしますね。
 そして同時に私は、「老いた(失礼!)」とはいえ、さすがに北杜夫だなと、少し感心しました。

(そういえば、かつて開高健が、どの賞を貰っても構わないだろうが、小説家は国家からの賞は貰うべきではない、なぜなら小説家は何時の世も、国家に対峙する作品を書かねばならない可能性があるからだ、という趣旨のことを書いていたのを思い出します。)

 さて、冒頭の短編集の読書報告であります。
 この短編集も、一言でまとめますと「老人文学」であります。
 ただ、例えば晩年の谷崎潤一郎の小説が「ポジティブ」な老人文学であるとすると、こちらは「ネガティブ」な老人文学ですね。はやりの言葉で言えば「草食系」の老人文学と言ってもいいように思います。
 老境に入ってからの、新しい現実の展開というものが、ほぼありません。

 その代わり、といっていいか、主人公の年老いた肉体をかろうじて支えているのは、ひたすら過去への追憶であります。
 それが、霧の中を歩むような記憶の混濁や、現実を捉えきる思考力の衰えなどと絡み合って、くすんだ現実を細切れにしながら描かれていきます。

 さらに、人生が一筋縄ではいかないところは(北杜夫の凄いところと言うべきでしょうか)、その追憶が決して自らの過去の記憶の内の、懐かしいものでも素晴らしいものでもないと言うことであります。
 それはむしろ、禍々しい記憶の方が中心となっています。

 死を待つ時間の空虚と、この悪夢まがいの過去の記憶。
 その両者に挟まれ、夢うつつの間を漂うように行きつ戻りつしながら、老いた主人公はこんな風に考えます。

 だが、やはり男は気がついてしまった。男はまだ呼吸をしていた。とぎれとぎれに、喘ぎがちにではあったが、やはり息をしていた。
 次第に意識が戻ってくる中で、いくらかの安堵とそれよりもずっと多い失望の中で、男はこう思った。うつうつと、おぼろに、ボウフラのようにたわいもなく浮き沈みしながらも、確かにこう考えた。
 まだ息をしているってことは、わずかばかり幸せなことで、あとはずっとずっとしんどいことだな。それはしんどくて、つらくて、苦しくて、最後には底ひも知れぬほどあんぐりと口をあけた、不気味な、おどろおどろしい暗黒の洞窟の奥へとつながってゆくものなのだな、と……。


 人生の晩年において、自らの人生をこのような形で総括するというのは、果たしてどんな実感なんでしょうかね。
 ただ、ゆっくりと落ち着いてこの文章を読めば、この感情の中にあるのは、やはりひとつの「諦念」と呼ぶことのできるものではないかと思います。

 たとえそれが、こういう形でしか考えようのないものであるとしても、私はここに、実生活上で「もうパパはいいの」と力弱く、しかし言い切った筆者の、「自らで完結しようとする意志」のようなものを感じるのでありました。


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Last updated  2010.12.08 06:32:33
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