|
全て
| カテゴリ未分類
| 明治期・反自然漱石
| 大正期・白樺派
| 明治期・写実主義
| 昭和期・歴史小説
| 平成期・平成期作家
| 昭和期・後半男性
| 昭和期・一次戦後派
| 昭和期・三十年男性
| 昭和期・プロ文学
| 大正期・私小説
| 明治期・耽美主義
| 明治期・明治末期
| 昭和期・内向の世代
| 昭和期・昭和十年代
| 明治期・浪漫主義
| 昭和期・第三の新人
| 大正期・大正期全般
| 昭和期・新感覚派
| 昭和~・評論家
| 昭和期・新戯作派
| 昭和期・二次戦後派
| 昭和期・三十年女性
| 昭和期・後半女性
| 昭和期・中間小説
| 昭和期・新興芸術派
| 昭和期・新心理主義
| 明治期・自然主義
| 昭和期・転向文学
| 昭和期・他の芸術派
| 明治~・詩歌俳人
| 明治期・反自然鴎外
| 明治~・劇作家
| 大正期・新現実主義
| 明治期・開化過渡期
| 令和期・令和期作家
カテゴリ:大正期・新現実主義
『地獄変・邪宗門・好色・藪の中』芥川龍之介(岩波文庫) 目のあらい簾が、入口にぶらさげてあるので、往来の容子は仕事場にゐても、よく見えた。清水へ通う往来は、さつきから、人通りが絶えない。金鼓をかけた法師が通る。壺装束をした女が通る。その後からは、めづらしく、黄牛に曳かせた網代車が通つた。それが皆、疎な蒲の簾の目を、右からも左からも、来たかと思ふ、通りぬけてしまふ。その中で変らないのは、午後の日が暖に春を炙つてゐる、狭い往来の土の色ばかりである。(『運』) 実に素直な丁寧なヴィジュアルな、そして流れるようないい文章ですね。 今回、この短編集を読んで私は、へー、芥川ってこんな優しい文章を書くんだ、とおのれの無知ぶりをさらけ出しつつも、思いました。 なんか芥川って、いつもインテリゲンチャの苦悩を一身に引き受けて眉を顰めつつ皮肉なお話を書くという、そんな(誤った)イメージを持っていましたもので。 今回読んだ短編集のほとんどの作品は、たぶん再読かそれ以上の回数を私は読んでいると思うのですが、今回読んでいてとっても面白かったのは、こんな作品です。 『龍』・『好色』・『地獄変』・『邪宗門』 一方で、今回読んでさほどでもないと思ってしまったのは、『藪の中』ですかね。技巧が先走って息苦しく、作品として少し歪な気がしました。 ところで、上記に挙げた四作の内、前の二作品はとってもユーモラスな作品ですね。 筆者も間違いなく、そんな落とし話の様な作品を書こうとした意図が、いろんな部分から伺えます。 この「諧謔性」は、芥川の、読者へのサービス精神なんですかね。 『龍』には、かつて芥川自身が『鼻』で触れた「禅智内供」を、さりげなく出してきたりしています。 そうだ、これはモーツァルトが『ドン・ジョヴァンニ』の中で、自作『フィガロの結婚』の「もう飛ぶまいぞ…」を歌わせているのと同じですよね。 やはり、読者へのサービスですよねー。 (そういえば、『邪宗門』の中で『地獄変』について触れている場面がありますが、これは、二つの作品世界がそのまま連結しているからではありましょうが、やはり読者サービスですよね。初出の発表誌も、「大阪毎日新聞」と「東京日々新聞」ですから。) この「諧謔性」を、以前読んだ時私はなぜかよく読みとれなかったんですね。なぜだったんでしょうねー。まー、おのれの読解力不足といえば、紛う事なき正解なんでしょうがー。 ともあれ、『龍』と『好色』は芥川作品には珍しい(あるいは唯一の)向日的な作品だと思いました。 『地獄変』については以前読んだ時も凄いと思いましたし、今回再読してもやはり凄いと思いましたね。 燃え上がる牛車とその中で生きたまま焼かれようとする娘の描写、そしてそれを見ている娘の父親・絵師良秀と「堀川の大殿様」の心理劇を描く表現は、何といっても圧倒的です。 この辺のうまさは、いかにも芥川的なうまさであります。 ところがこのうまさが、いえ部分的な描写のうまさは、十分残っておりながら、なぜ『邪宗門』は未完になっているんでしょうか。『偸盗』と全く同じケースです。 作中、暴漢に襲われた「若殿様」が、度胸と口舌ひとつで逆に暴漢をてなずけてしまうあたりは、まことに水際立った見事な場面展開であります。 これほど書ける人が、何で作品を未完にしちゃうんかなー。 一般的にいわれている、芥川は長編小説の書けない人だったんでしょうか。 ただ、今回この短編集を読んで、ついでに作者自身のことについても少し「復習」をしていたら、改めて「うーん」と思ったことがありました。 それは、芥川が35歳で死んだこと、そして小説家としての実動期間は10年と少しにしか過ぎないことであります。 それも、作品を発表しだして5年後には、早くも神経衰弱や腸カタルなど、心身の衰えの兆候を見せています。 肉体が精神に及ぼす影響は、今更私が説くまでもありませんが、芥川が比較的健康体として小説を書けた期間は、僅かルーキーから5年間だけです。 現代みたいに書き下ろしの長編小説がいくらでも出版されるような時代ではなかった時に、これらのことを踏まえず芥川は長編小説が書けないと言い切るのは、少し酷であろうと、今回私は気づきました。 (シューベルトのピアノ・ソナタなんか未完成ばかりじゃないですか。あ。これはあまり関係ありませんか。) 私はかねがね、せめて三十代を生ききることが、作家としての才能を発揮できる最低限の条件だと思っていました。 それのかなわなかった素晴らしい才能としては、例えば梶井基次郎や中島敦であります。一方、何とかぎりぎり三十代を生ききって、「文豪」の片鱗を残した作家は、太宰治でしょう。(しかし、太宰ももう少し頑張ったら、間違いなく「文豪」そのものになれたのにとは思いますが。) 35歳でなくなった芥川、うーん、後5年、3年でもいいから頑張れば、また違った人生の展開があったかも知れないのになと、思います。 ……でもねー。 でも『歯車』なんて読んでいると、もうここで限界なんかなー、とも思いますしねー。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[大正期・新現実主義] カテゴリの最新記事
|
|