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2011.03.16
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カテゴリ:大正期・私小説

  『黒髪』近松秋江(岩波文庫)

 人に、騙される。

 え、いえ、特定の人物に騙され続けるというのは、一体どんな気持ちなのかな、と。
 そんなことを思ったものですから。

 日本文学史の教科書で、名前だけは見たことのあるこの作家の作品をこの度読んで、正直私は感心しました。(唖然としました、の方がいいかも知れません。)
 いえ、ここに隠れた大傑作がある、というのではありません。
 じゃ何かというと、それが上記の、特定の人物に騙され続けるという、類例のほとんど思い浮かばない、極めてオリジナリティの高い小説であることに、私は感心(唖然と)したわけです。

 上記の日本文学史の教科書(ブック・オフ105円也)によると、「日本独自の小説形式である『私小説』の本格的な出発は、近松秋江の『疑惑』あたりにある」と書かれていました。
 そーかー。知りませんでした。
 知らないのは、勿論私の無知故でありましょうが、私のように日本文学史がわりと好きな者(世間にはあまり分布していない、珍しい、絶滅危惧種の様な「マニア」)であっても、普通こんな事までは知らないですよね。違います?

 しかし、本作の筆者が「私小説」の鼻祖であるということは、ここに書かれた内容もほぼ作者の実体験かということで、そこで三度、特定の人物に何度も何度も騙され続ける気持ちってどうなんでしょうか、と。

 近代小説でそんな体験を描いた作品は他にないかと思い出してみたのですが、うーん、確か谷崎潤一郎の『卍』がそんな内容ではなかったか、と。

 そーかー。やっぱり。
 「やっぱり」というのは、『卍』もやはり「恋愛=痴情」を描いている小説だからですね。
 今回報告する『黒髪』と後二作品(この文庫本にはその三作が収録されているんですが、どうも後一作連作として続きがあるようです。なんで、もう一つ載せてくれていないんでしょうね。)も、男と女の話、というより男の側からの一方的「痴情」を描いている作品です。
 (「ストーカー文学」という理解も、特に連作第三作目はできそうです。しかし同じ「ストーカー文学」でも、武者小路実篤の向日葵のような「天然性」はありません。)

 「痴情」と書きましたが、これらの一連の秋江作品は、発表当時「痴情文学=遊蕩文学」として糾弾されたものであります。(赤木桁平が新聞紙上で秋江批判を中心に「遊蕩文学撲滅論」を展開しています。私は本作を読んでいるうちに、「あ、これが例の…」と思い出しました。)

 さて、何度も何度も騙され続ける男と言うことですが、そもそも設定が、これでは騙されても仕方ないだろうというものではあります。
 主人公の男は東京に住んでいながら、京都・祇園の遊女に惚れて、五年にも亘って七夕なみにしか会えないにもかかわらず月々送金し続けます。しかし、女は別の男とも平行して旦那関係を持ちます。そして何度も行方をくらまします。病気を偽ります。療養場所を騙します。問いつめれば女の「欲深」の母親が、罵詈讒謗の居直りの棄てぜりふ。……。

 こういう展開が、実に淡々と、いえ淡々というよりはウェット気味に、筆者のペンネームからも分かるように江戸文学にも底通した筆致で描かれます。

 本文庫の解説を、筆者と同級生でもあり同郷人でもある正宗白鳥が書いているのですが、筆者の周りにやはり実際に同様な出来事があったようです。
 葛西善蔵とか嘉村礒多とかの書く、スタイルが似ているようにも思う「マゾヒスティック」な私小説作品が他にもありそうですが、それらの主人公は、「金・女・病」のひどい目に会いつつも、どこか「己の高み」を自負するところが見られます。
 しかし、本作にはそれがありません。

 主人公の「己の高み」を裏打ちしているものは、文学者の自負であることが多いのですが、本連作の主人公にはそれが見事にありません。
 第一、主人公の職業や仕事ぶりに触れた描写が、(見方によっては不自然なほど)全く描かれていないんですから。

 これって、やはり、筆者の意図的なものですよね。
 つまり、筆者・近松秋江は、主人公のような「痴情」を自ら実践し、信じがたいほど女に騙され続け、そしてその事を極めて理性的に小説に再構成しているわけです。
 こういう一連のことを真面目に実践する感覚とは、はたして一体どんなものなのだろう、という疑問が、私を(唖然と)感心させている、ということですが、おわかりいただけますでしょうか。

 ともあれ、そんな作品です。実に不思議なテイストの作品です。
 そして、独創性ということでいえば、やはり本連作は、日本文学史上に他の追随を許さず、孤高を誇って屹立する「怪作」である、としか言いようがないと思います。
 未読の方はぜひお読みください。本当に、本当に。唖然と。


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Last updated  2011.03.16 06:37:31
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