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カテゴリ:明治~・劇作家
『修禅寺物語・正雪の二代目』岡本綺堂(岩波文庫) 冒頭の「新歌舞伎」戯曲集の読書報告の後半であります。 前半には何が書いてあったかと申しますと、……えー、申したくない、と。 なぜ申したくないかと申しますと、それは前半にはほとんど読書報告がなかったからと、えー、まことに相済みませんでした。 じゃ、何が書いてあったのかというと、これも申したくはないのでありますが、敢えてお茶を濁すように申しますと、今は亡きドイツの名指揮者クナッパーツブッシュは、カーテンコールが嫌いだった、と。 まー、そんなお話でした。 さて閑話休題、今回は素早く本題に入っていきます。 上記に「新歌舞伎」と書きましたが、明治以降に文学者が書いた、新しい脚本で演じられる歌舞伎のことを、そう呼ぶそうであります。 今回ちょっと筆者について調べてみたのですが、岡本綺堂に「枕詞」のように言われるフレーズは、「『半七捕物帖』と『修禅寺物語』の」というものだそうですが、実は私はどちらも読んだことがありませんでした。 そして、『半七捕物帖』というのは、「江戸のシャーロック・ホームズ」といわれるほどの、謎解きに重点を置いた本格派の推理小説なのだと知りました。 シャーロック・ホームズ。読みましたよねー。 ルパンのシリーズと並んで、中学生くらいの頃に、私もはまりました。 で、急遽図書館に行って、『半七捕物帖』を私も読んでみたのですが、とっても面白かったですが、この話はまたいずれ後日。 本書の読書報告に戻ります。 本書には6作の新歌舞伎台本が収録されています。これです。 『修禅寺物語』『箕輪の心中』『佐々木高綱』『能因法師』『俳諧師』『正雪の二代目』 これはどの作品をとっても甲乙つけ難い、実に堂々とした歌舞伎台本であります。 私は感心致しました。ここにも見事なプロフェッショナルがいる、と。 まず、その多彩な「芸幅」に驚きます。 『修禅寺物語』……鬼気迫る芸術家物語。 『箕輪の心中』……近松の伝統をそのまま引き継ぐような「世話物」。 『佐々木高綱』……芥川や菊池寛などに見られるようなテーマ物語。 『能因法師』……この方面にも見事な才能の存在を示す喜劇台本。 『俳諧師』……なんとも「俳味」あふれる珠玉の名品。 『正雪の二代目』……人間群像をも描きそうな「ピカレスク・ロマン」。 どうですか、こうして並べてみただけで、全く感心してしまうではありませんか。 そしてその作品の完成度がことごとく高いとくれば、圧倒されざるを得ません。 私の個人的な好みで敢えて言いますと、一般的に高名な『修禅寺物語』が、かえって、ややよく見られる「芸術家物語」であるぶん(多分一番近い味を持つ文学作品は、芥川の『地獄変』だと思いますが、ちょっと近すぎる感がなきにしもあらずです)、少し厚みに欠けるように思いました。 また、台詞回しが、天衣無縫の華麗さであります。 どこを取り出してもいいのですが、一つだけ挙げてみますね。 頼家 あたたかき湯の湧くところ、温かき人の情も湧く。恋をうしなひし頼家は、 ここに新しき恋を得て、心の痛みもやうやく癒えた。今はもろもろの煩悩 を断つて、安けらくこの地に生涯を送りたいものぢや。さりながら、月に は雲の障りあり、その望みも果敢なく破れて、予に萬一のことあらば、そ ちの父に打たせたる彼のおもてを形見と思へ。叔父の蒲殿は罪無うして、 この修禅寺の土となられた。わが運命も遅かれ速かれ、おなじ路を辿らう も知れぬぞ。(『修禅寺物語』) もう一つ、上記に「近松の伝統をそのまま引き継ぐような」と書きましたが、それはその通りだと思うのですが、単にそれだけではなくて、この綺堂新歌舞伎台本には、時代の新しさが、明らかに籠められてあります。そこに我々は、実に新鮮な息吹を感じます。 今から心中を図ろうという男女の台詞を、最後に挙げてみます。 外記 書置などと云ふものは、この世に未練のある徒が、亡き後を思うて愚痴を かき残すか。或はこの世に罪あるものが、詫状代りに書きのこすか、二つ にひとつ。外記はこの世に未練もなく、また懺悔すべき罪もない。笑ふも のは笑へ、誹るものは誹れ、なんとでも云はしておけ。申訳めいた書置な どは要らぬことだ。 綾衣 ほんに主のいふ通り、褒めようが笑はうが、それは世間の人の心まかせで、 どつちでも関はぬこと。ふたりの心は二人よりほかに知る人はござんすま い。 外記 この世界は二人の世界だ。 綾衣 未来までも二人の世界。 外記 綾衣……。 綾衣 殿様……。 どうですか。白樺派、いえ、まるで心中に臨む有島武郎のようではありませんか。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.08.13 07:22:20
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