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2011.10.22
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カテゴリ:明治~・劇作家

  『父と暮せば』井上ひさし(新潮文庫)

 先日、本当に久しぶりにお芝居を見てきました。いえ、実は知人よりチケットをいただいたからでありまして、自腹ではないのが恐縮であります。

 かつては結構こまめに演劇鑑賞をしていた時期があったんですが(わずかの期間、二、三年くらいですかね。その後私は熱心な演劇鑑賞者からトンずらしました)、最近は戯曲は時々読みますが、舞台鑑賞からはとんとご無沙汰していました。

 で、先日鑑賞したお芝居ですが、関西地方をフランチャイズに頑張っている劇団のようでありました。いつでもどこでも、演劇とは若い力だと思いますが、その劇団も多くの若い役者が(特に女性ですよねー)はつらつと大いに頑張っている感じでした。

 幽霊、が出てきました。
 演劇と幽霊は、しかし、古今東西、梅に鶯、月に群雲(あ、これは違いますか)、ベストカップルになっているように思うのですが、なぜなんでしょうね。

 西洋ものでは『ハムレット』の幽霊を筆頭にして多々ありましょうし、もし幽霊だけじゃなく「異界のもの」までその中に加えますと、日本ではやはり泉鏡花ですかねー。
 その辺のことに少し関係しそうなことを、本書の「あとがき」に筆者が書いています。

 ……ここまでなら、小説にも詩にもなりえますが、戯曲にするには、ここで劇場の機知に登場してもらわなくてはなりません。そこで、じつによく知られた「一人二役」という手法に助けてもらうことにしました。美津江を「いましめる娘」と「願う娘」にまず分ける。そして対立させてドラマをつくる。しかし一人の女優さんが演じ分けるのはたいへんですから、亡くなった者たちの代表として、彼女の父親に「願う娘」を演じてもらおうと思いつきました。べつに云えば、「娘のしあわせを願う父」は、美津江のこころの中の幻なのです。ついでに云えば、「見えない自分が他人の形となって見える」という幻術も、劇場の機知の代表的なものの一つです。

 なるほど、言われてみれば当たり前ではありました。
 文学作品とは人間の情念を描くものであり、生を語り死を語るものでありましょう。
 生と死を、個人の情念を強く含んで語るに最も相応しい存在とは、まさに幽霊なのかも知れません。
 そしてもう一点。筆者が「劇場の機知」という言葉で表しているものについて……。

 さて実は、わたくし、この本は再読であります。数年前に一度読み、とにかく泣いたという記憶だけが残っていました。今回読みまして、やはり泣きました。
 この「原因」は、なんなのでしょうね。なぜ私は泣いちゃうんでしょうか。(そんなモン、人に聞くなよ。)

 で、わたくし、思うんですが、一つは、本作においては広島弁という形で現れているのですが、科白の音韻が作るリズム感。例えばこんな所。

竹 造 木下さんに上げるお土産、明日はじゃこ味噌だけで我慢してちょんだいや。
美津江 いろいろ気を使うてくれんさってありがとありました。(ト見るがいない)
    ……おとったん? おとったん……。

    ゆっくりと暗くなる。


 「ありがとありました」「おとったん」というフレーズは、この舞台には再三出てくるのですが、この表現の醸し出すまろやかさはどうでしょうか。実に琴線に触れてくる魅力的なものがあるように思います。
 そしてもうひとつ、筆者の「あとがき」で見た「演劇の機知」でありますが。

美津江 そのうちに煙たい臭いがしてきよった。気がつくと、うちらの髪
    の毛が眉毛がチリチリいうて燃えとる……。
竹 造 わしをからだで庇うて、おまいは何度となくわしに取りついた火
    を消してくれたよのう。……ありがとありました。じゃが、そが
    あことをしとっちゃ共倒れじゃ。そいじゃけえ、わしは「おまい
    逃げい!」いうた。おまいは「いやじゃ」いうて動かん。しばら
    くは「逃げい」「いやじゃ」の押し問答よのう。
美津江 とうとうおとったんは「ちゃんぽんげで決めよう」いいだした。
    「わしはグーを出すけえ、かならずおまいに勝てるぞ」いうてな。
竹 造 「いっぷく、でっぷく、ちゃんちゃんちゃぶろく、ぬっぱりきり
    りん、ちゃんぽんげ」(グーを出す)
美津江 (グーで応じながら)いつもの手じゃ。
竹 造 ちゃんぽんげ(グー)
美津江 (グー)見えすいた手じゃ。
竹 造 ちゃんぽんげ(グー)
美津江 (グー)小さいころからいつもこうじゃ。
竹 造 ちゃんぽんげ(グー)
美津江 (グー)この手でうちを勝たせてくれんさった。
竹 造 ちゃんぽんげ(グー)
美津江 (グー)やさしかったおとったん……。


 今、書き写していても私は目頭が熱くなってくるのですが、この不条理な、アンチ・リアリズムな、そして心の中に土足でぐいぐいと入り込んでくるような演劇的空間はどうでしょうか。
 こんな場面を読んでいるとつくづく、ああ芝居って素晴らしいなと思ってしまいます。

 小説は理性に訴えるところが多いので、静かに深いところから感動が訪れるように思います。一方、戯曲の、演劇の魅力は、肉体の疼きのような、生きていることの切なさのような、そして肉体の快楽のような魅力です。
 私は情けなくもその魅力に完全に浸ることからトンずらしたのですが、この魅力に取りつかれれば、たとえその結果人生を棒に振ったとしても、決して悔いることはないと思うような、そんなかけがえのない大きな力です。

 そんな戯曲の魅力の一端を、今回久しぶりに、私は思い出しました。


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Last updated  2011.10.22 09:15:10
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