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カテゴリ:昭和期・第三の新人
『星と月は天の穴』吉行淳之介(講談社文庫) そのような人生観の人々はもちろんいつの時代にもいるのでしょうが、私の身近にそんな人がいたのは、今を去ることン十年前の、私が大学生の頃でした。 どんな人生観の人なのかといいますと、なに、別に珍しいタイプの人ではないと思います。 要するに、「男と女の関係こそが人生の中で永遠に中心にあるべきだ」と考えている人、とでも言うんでしょうか、まー、光源氏みたいな人でしょうかね。傍目で見ていると、いつもいろんな女性と付き合っているという感じの人でした。 その彼は同じ大学の同級生でしたが、さほど深いつき合いのあった人ではありません。ただ、一度だけ、何かのきっかけで二人で飲んだことがありました。 その時に、私がきっと上述のようなことを聞いたんだと思います(もちろん私は、彼の異性をめぐる環境が、とっても羨ましかったんでしょうね)。 で、その時彼が言ったのが、別に女性に対して特別な事をしているわけでもないが…と言うニュアンスで話し始めた、私にとっては驚くような「フェミニズム」の話でした。 いえ、そんなのを「フェミニズム」というのかどうかはよく分からないのですが、よーするに、なるほどそこまでまめに女性に「尽くさねば」いろんな女性と「ラブ・アフェア」を楽しむ(「楽しむ」でいいんですよね?)というわけにはいかないんだなーと、その方面に圧倒的に未熟な私にとっては、呆気にとられるような内容でした。 で、私はとても感心し感動に近いものまで持ちまして、そしてこんな風に考えたのが、今となっては「我が人生の過ち」だったのでしょーか。 私は、「やはりこれは近寄りがたいような特殊な才能に違いない」と思っちゃったんですねー。 ……それ以降ですか、ご想像の通りそんな才能に全く恵まれなかった私の人生は、華やかな女性の彩りとは全く無縁なままに、今日に至ってしまいました、と。 さて今回報告する小説の筆者・吉行淳之介氏が、実際さほどに女性にまめな方なのかどうか私はほとんど知らないのですが(薄々はそんなこともいろんな文章で聞き及んではいますが)、今回の小説も、こんな風に感じる四十歳くらいの小説家が主人公なんですね。 「疲れているな」 と、彼はおもう。それに、心も衰えているらしい。壮年の活力に満ちた細胞が、若く稚い細胞を踏み躙ってゆく、という幻覚をもつ場合もある。いまは、その逆だ。紀子と会ったことを「めぐり合い」と感じ、その言葉から感傷を感じたのも、疲れ、心が衰えているせいだろう、とおもう。 彼は答えた。 「そう、用事があるから……」 疲労をほぐすには、女体がよい。それも、相手の心について考えをめぐらす必要のない女体がよい。やはり、あの女将との約束を守ることにしよう。 ……うーん。 しかしこういう哲学に基づいた人生というのは、どんなものなんでしょうね。 恥ずかしながら、私には想像もつきません。(きっと「豊かな人生」なんでしょうね。) だから、これ以降の私の感想にはかなりバイアスが掛かっていると自分でも思いつつ、先ず感じたことは、吉行文学は、主人公が何歳であってもやはり永遠の青春文学であるな、と言うことでありました。 実は以前にも、これに近いことをかつて本ブログで書いたように思うのですが、つまり「女性に対する自らの肉体や精神の距離の取り方」とでも言うべき事柄を、人生の中の最優先事項として脳細胞の中心に置き続けるというのは、要するに自意識がとても大きく腫れ上がっているからではないかと、私は少々思うんですね。 そしてそれは、一般的に言えば、青春期の大きな特徴ではないでしょうか。 青春期の肥大した自意識と、そしていつもそれに併走しているもてあまし気味の「性欲」こそが、青春期の言動を生み出す動力源となっていることはたぶん多言を要さないと、重ねて私は思います。 私が吉行文学を青春文学のように感じるのは、きっとその相似性ゆえだと思います。 しかし、もはや人生の長距離走の、すでに3分の2ほどの距離を走り終えた(そしてかなりへとへとになった)今となっては、この吉行文学の特徴が、なんだかとても読みづらいものに思えてきたりします。 いえもっと正直に書くと、作品にあまりリアリティが感じられないんですよねー。 だってそんな体験を、わたくし今までぜーんぜんしたことが無いんですから。 というわけで、……えーっと、次回に続きます。ごめんなさい。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.11.05 10:21:37
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