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2011.11.19
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カテゴリ:明治~・劇作家

  『ヒモのはなし』つかこうへい(角川書店)

 先日、去年亡くなったつかこうへいについて、ちらっとネットで見ていたのですが、遺書が残っていたということで、その短い遺書を読み、私はちょっと驚きました。

 うーん、ここまで書くのかー、というその「舞台人根性」(だと思いますねー)に感心したわけです。
 どこに感心したかと言いますと、遺書冒頭のこの表現であります。

  「思えば恥の多い人生でございました。」

 これは、遺書ですよ。本気の遺書ですよ。
 そんな遺書の中で、ここまで大向こうを意識しながら一発カマす舞台人根性は、なんといいますか、さすがとしか言いようがないと思います。

 言わずもがなの説明ですが、もちろんこのフレーズは、太宰治のフレーズですよね。
 そんなことはほとんどの人が知っています。そのほとんどの人が知っていることを踏まえて、それをパロディにして、遺書の冒頭で一発カマす舞台人的サービス精神というものは、これは誰が何といおうと、やはり本物でしょう。

 確かに、つか作品の中に臨終や葬式を扱った快作がありましたが、いくらその作者だとは言え、こんな遺書は誰にでも書けるものではありません。

 ということで、改めて感心したつか戯曲を、久しぶりに読んでみました。
 なぜこの本を手に取ったかというと、少し理由があります。

 とある地方局テレビでやっていたのですが、最近若者の間に「デートDV」なるものがよく見受けられるという内容でありました。
 「DV」というのは、「家庭内暴力」が元々の意味で、そこから派生した形として愛し合う男女間で起きる暴力という意味ですかね。
 そして「デートDV」というのは、それの青年部学生部版ですかね。

 いろんな事例紹介があったのですが、男性も被害者になりうると言うことで、例えば携帯電話の中の女性のアドレスを「私と付き合ってるんだから私以外の女の子のアドレスは要らないでしょう」とか言われて消されてしまう事例がありました。

 見ていて私はふと思い出したのですが、私の知人に、結婚した時に独身時代の写真を(独身時代の別の彼女が写っていたのが中心だそうですが)、すべて捨てられた男がいますが、あれはDVだったんですかね。

 番組の最後に、大学生が作った「デートDV防止キャンペーン」のビデオが映されました。「DVやめよう」などのフレーズを挟みながら、笑い合っている男女の静止画が次々と流れていきましたが、見ていて私はどうも違和感を持ってしまいました。

 相手からひどいことをされても我慢するのが愛情だと思うのは間違いである、という教えに対しては、100%の賛同を致しますものですが、あんな風にDVもなく笑い合っていても、当たり前ながら別れるカップルは山ほどある、と。

 相手を傷つけないようにし、傷つけられないようにして、しかし、それでも人は人を好きではなくなったり、ずばり、嫌いになることがあります。

 身も蓋もない言い方をすれば「捨てられる」(付き合いを拒まれる)ことが、本人にとってはなんといっても、一番の「DV」なのではないのでしょうか。

 こじつけか厭がらせみたいに読めるかも知れませんが、そして繰り返して肉体的精神的暴力は無条件に否定するのですが、「デートDV」なるものの存在する原因に、私は男と女の間の愛情には、あまりに分からないものがありすぎるからじゃないかと思いました。

 私は愛しているのか分からない、私は愛されているのか分からない、愛するとはどういう事なのか分からない、愛されるとはどういう事なのか分からない、愛するにはどうすればよいのかわからない、愛されるにはどうすればよいのか分からない、このおこないは愛しているからなのか分からない、あのおこないは愛されているからなのかわからない……。

 少し、極端な言い方でしょうかね。
 うーん、私が間違っているような気は大いにしつつも、どーも、違和感が残るんですがねー。
 次回まで、考えてみます。


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Last updated  2011.11.19 09:45:55
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