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2012.07.01
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  『夕陽の河岸』安岡章太郎(新潮文庫)

 かつて村上春樹が書いていましたが、「一杯のカクテルを作るにも哲学は必要である」と。
 全くその通りですが、しかし、あいかわらず村上春樹はこんな感じのフレーズが、とっても上手ですね。

 村上春樹とか、カクテルとかの話ですから、これは決して日本人・日本文化に特有のものという話ではありませんよね。(初期の村上春樹は日本文学にほぼ影響を受けなかったように、書いたりしていたと思いますが、小さい頃の食卓の話題が『平家物語』だったというのは、……えーっと、あれは小説の話でしたっけ。)

 このフレーズはつまり、人間というものは、あらゆる物に哲学を見つけるということでありますね。ということは、人間はあらゆる物に、正邪、善悪、美醜を見分けるということでもありますよね。

 ごく私的な偏見のような気もしますが、それをヨーロッパとかアメリカとかの人がやっている範囲では生まれないのに、これを日本人がやっちゃうと(そしてまた日本人がとってもやりたがるんですが)、そこに「道」が生まれます。

 例えば冒頭のカクテル哲学の話ですが、よりよいカクテルを突き詰めることを、日本人以外の人たちは「カクテル道」って、言うんですかね。(もちろんその国の表現として。)
 カクテルからさらに料理の話全般に拡げますと、日本人の場合、もうそこは堂々たる「道」の世界(あっ、シャレ言っちゃった)であります。

 これも何かで読んだと思いますが、料理のお話で、うつわに入ったお水を混ぜる時、右回りに混ぜるのと左回りに混ぜるのでは味が異なる、って、こんなの、私はそもそも物知らずな人間ではありますが、こんなのは料理道では常識に近いことなんですかね。

 日本に入ってしまうと何でも「道」になってしまいます。
 去年でしたか、介護福祉の専門学校の文化祭に行ったら、そこの生徒達がおそろいのトレーナーを着てたこ焼きを売っていましたが、そのトレーナーには「介護福祉道」って書かれてありました。

 日本人は、根が真面目だから、って、本当に日本人が真面目なのかどうか、私はよく知らないのですが、とにかくすぐに「道」ができて、そこに人間性を反映させます。
 たとえば「文は人なり」って。

 以前文芸評論家の齋藤美奈子が、「文は人」の虚仮威しを徹底的に暴露していた文章を読みました。少し昔の話になりますが、「サカキバラ」事件の犯行声明の文章を取り上げて、文章から人格なんてわかりっこないと断罪していたんですね。(『文章読本さん江』)

 さて、冒頭の短編小説集ですが、本書を読んでいますと思わず、
  「自然観照」
なんて言葉が浮かんできます。
 第三の新人グループの、筆者晩年の(ここからも「円熟」なんて言葉が浮かんできます)、私小説の、そして「文章道」のお話であります。

 日本文学に、今だに私小説が一定の勢力を誇っているのは、志賀直哉が長生きをしたからだという説を読んだことがあります。
 第三の新人といえば、志賀直哉の直系ではないまでも、文学上の思潮で言えば、やはり直也の傘下にあるといってさほど誤っていないでしょう。(もっとも「第三の新人」グループは幅広いことは幅広いですが。)
 (しかし今志賀直哉を読み返してみて、充分鑑賞に堪えるのは明らかに客観小説であります。『清兵衛と瓢箪』などのたぐいですね。不機嫌なオッサンの出てこないやつです。)

 本書の文章も、実に「融通無碍」という感じの文体であります。

 夕闇の河原を歩きながら、私は、自分が過去の中に生きていることを実際に感ずる。”過去”は薄暗い空気のように幾重にも積み重なって分厚い層になり、私をまわりから支えてくれる。しかしいま、こんなにも明らかな自分の記憶違いを知らされると、自分を取り囲んでいると思った過去が一瞬のうちに毀れてコナゴナに雲散霧消してしまうようでもある……。

 どうでしょうか。
 かくて文章道を突き詰めた小説家は、晩年晴れて「人格者」になる、と。
 (関係があるかどうか分からないですが、太宰治は、小説家と文章家を峻別していましたね。)
 まぁしかし、実際はそんな簡単なものでもないでしょうが……。


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Last updated  2012.07.01 07:33:16
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