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2013.05.26
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カテゴリ:明治~・劇作家

  『玄朴と長英』真山青果(岩波文庫)

 少し以前になりますが、私はある大学の社会人向け公開講座に行きました。
 いろんな大学などがやっているこういった講座は、わたくし、けっこう好きで、今でも時々顔を出すのですが、その時やっていたのは、「スポーツと芸術」といったテーマのものでした。

 近年スポーツと芸術がどんどん近づいているというのが主だった話題でありまして、そういえば、スポーツジャーナリストで、現在は小説なんかもお書きになる玉木正之氏は、かなり以前からそういった主張をなさっていました。
 例えば野球において、4番バッターが、相手のエースが投げてくる内角のシュートを腕を畳んで見事にはじき返す場面を、芸術と言わずして何と言おうかといったテーマのもので、私もとても共感いたしました。

 この度の公開講座で、スポーツと芸術の接近、或いは融合を説く上で例として挙げられていた競技はフィギュアスケートでありました。
 詳しい内容は少し忘れてしまったのですが、フィギュアスケートは数年前(十数年前?)に採点方法が大きく変わって、今では衣装・化粧などまでが採点内容に影響するということでありました。(えーっと、たぶんこれで合っていると思うんですが。)

 それを初めて聞いた時私が思ったのは、衣装や化粧などをスポーツの勝敗(少なくとも運動能力の優劣)に関係付けるというのはいかがなものかということでありましたが、……えーっと、……えっーーと、……ちょっとこの話題に深く触れますと、今回の読書報告のテーマからは、いくら何でも大きく逸脱しすぎますので、これはちょっと置いておきますね。

 少しだけ本筋に話しを引き戻します。持ってきたかった話題は、その講座の講師の先生がおっしゃった印象深い言葉でありますが、こんなニュアンスの表現でした。

 「芸術のようなプレイ」というのはほぼ最上級の褒め言葉であろうが、「スポーツのような演奏」というのは少々様々なニュアンスのものをはらむ褒め言葉である。

 確かこんな内容でした。
 いえ、実は、冒頭の今回報告すべき作品を読みながら私が頭の中に持っていた最初の感想は、「芸」と「芸術」と言ったものでありました。
 そしてそれが横滑りして「スポーツ」と「芸術」になったのでありました。

 さて、今回私が読みましたのは戯曲集であります。この4つの作品が収録されています。

  『玄朴と長英』『小判拾壱両』『明君行状記』『聞多と春輔』

 この4つの戯曲が、何と言いますか、どれも実に素晴らしい。
 著者の真山青果について、私は名前だけは知っていましたが作品を読むのは全く初めてで、一番最初の『玄朴と長英』を読んだ時は、その見事なできばえにほとんど「目が点になる」状態でありました。

 これだけ、縫い目継ぎ目の見えない戯曲は、ちょっと読んだことがない(もっとも、戯曲についてはわたくし、さほどよく知っているわけではありませんが)と感じるにやぶさかではありませんでした。
 そして2作目3作目と読み進め、読むほどにどんどん感心していったのですが、と同時にこんなことも思いました。
 これは、例えば菊池寛のようなテーマ小説との類似がある、と。

 『小判拾壱両』という戯曲は、井原西鶴の『西鶴諸国話』の中の「大晦日はあわぬ算用」を本歌にした作品であります。
 西鶴の「大晦日は~」といえば、あの太宰治が『新釈諸国話』と銘打って発表した連作にも取り上げられていますが、太宰がもっぱら登場人物の人物造形にオリジナリティを発揮したのに対して、本作は物語解釈に筆者の独創性があります。

 同様のことが、残りの作品にも共通していると思います。
 しかしそうであっても、繰り返しますが、戯曲作品としては、間然とするところの全くない、実に引き締まった傑作であると思います。

 一方(「一方」というつなぎ方が相応しいのかどうか少し迷いますが)、これらの作品に対する褒め言葉として私が感じたのは「名人芸」という言葉でありました。
 「名人芸」の「芸」は、おそらく「芸能」の「芸」でありましょう。

 もとより、戯曲という形式は、小説よりも成り立ちにおいて遙かに「芸能」の近く位置しているものではありましょうが、はて、私の感じた「名人芸」とは、冒頭の話題に触れた「スポーツと芸術」の関係と相似のものを持っているのでしょうか。
 それがまだ少し、気になっているのでありますが……。


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Last updated  2013.05.26 18:09:55
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analog純文@ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
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