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2020.04.13
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  『山月記・李陵』中島敦(岩波文庫)

 前回から中島敦「山月記」について、わたくしが少々「勉強」いたしましたことを報告しています。
 今回は、教科書に少し寄り道をした後、山月記の魅力について、考えてみたいと思います。

(1)「山月記」の高校教科書教材としての歴史

 ①「山月記」に先んじて最後の国定教科書(昭和22年)に
  漢文教科書の補助教材として「弟子」一部の掲載あり。
 ②昭和25年→二葉株式会社3年教科書に「山月記」初掲載。
 ③昭和26年→三省堂3年教科書に掲載。
 ④昭和32年→文学社3年教科書、中央図書3年教科書。
 ⑤昭和33年→積文堂2年教科書。
 ⑥昭和39年→筑摩書房2年教科書
  その後、明治書院、好学社など、しだいに2年用教材として定着。

 次に、「山月記」教科書掲載定着に至ったのポイントをまとめてみます。

 ①初掲載直前(昭和25年)に『中島敦全集』(筑摩書房)が出版され、
  毎日出版文化賞を受賞するなど好評であったこと。
  ②「山月記」中の「袁さん」のモデルと目される中島の友人釘本久春
  (文部省役人。中島の南洋行きの進言者)が、戦後の国語教科書担
  当者であり、日本教育界の重鎮の西尾実とコンビで日本語教育改革
  を行っていたこと。
 ③教材定着の決め手であった筑摩書房の教科書の中心編集委員が西尾
  実であったこと。

 高校の国語教材としての「山月記」の歴史について簡単にまとめてみました。
 しかし、これは、何ですね。「山月記」が教科書教材として定着した(ということは、国民文学として定着した)その最初の理由は、友達のおかげ、ってことですかね。
 ……うーん、吉田兼好ではないですが、持つべきものは出世して世間に顔の利く友人でありますなー。

 いえしかし、現在に至るまでの定番教材となるには、当たり前ながら教材としての魅力が「山月記」になくてはなりません。もちろん。

(2)教材「山月記」の魅力

 ①虎になった理由の告白に描かれる、鮮やかな心理分析の魅力
  誰もが青春期に一度は陥る心理状態を描き、またそれが同時に近代
  人の宿命ともいうべき、巨大な人間関係の中で素朴な生活実感が失
  われ、神経や意識だけが肥大する過剰自意識を描いていること。
 ②漢文脈の文章の魅力
  極めて硬質な漢文調文体でありながら、いたずらに詠嘆的・抒情的
  でなく、論理的な知的操作によって描かれていること。
 ③「袁さん」との友情の魅力(魅力的な友の存在)
  李徴に同情的だが批判的な目もある「袁さん」。「袁さん」は常識的
  な生き方をしつつ、内面には李徴的な要素も持っている。彼はこの
  「李徴」的な部分に深い人間論が蔵されることを知っている人物で
  あり、そしてそれにゆだねるようにして李徴の告白は始まる。青春
  期に身近にぜひいて欲しいキャラクターとして描かれている。

 ……と、この辺りまでは、教材としての「山月記」の魅力説明としては、ほぼ定説であるようです。
 しかしこの度私がいろんな文献を読んで、「あー、そーだよなー。」と思った(思い出した)ことがありました。それが、これです。

(3)「虎」の魅力の逆説……「虎」とは何か

 前回の報告に書きましたように、中国には古来「化虎」説話が広く存在しています。また佐藤春夫などが解釈しているように、虎とは盗賊の比喩であるとも考えられます。

 また、李徴が変身した「虎」も、人間の堕落した姿としての「虎」と考えることができ、事実、「山月記」における李徴の告白文脈の中では、虎は「あさましい姿」「醜悪な今の外形」などと描かれています。

 しかし、ラストシーンの月に咆哮する虎の姿は、嫌悪醜悪感を与えるにはあまりに誇り高く高貴ではないでしょうか。(詩人のなりそこないが「虎」とは格好良すぎるという説は、以前よりありますが。)
 ここには、別の読みの可能性があります。

 そもそも虎になった李徴は、カフカの「変身」などと違って、読み方によっては決して不幸な運命に陥ったわけではありません。
 そして「山月記」ラストシーンの虎を肯定的イメージととらえるならば、そこに至る理論は下記のようになります。

 後述しますが、李徴の告白する虎になった理由の中に、「妻子のことよりも己の乏しい詩業の方を気にかけ」たからだとあります。
 もしもそうであるならば、これは自分の好きなことを好き勝手にやって「エゴイズム」の虎となってしまった人間の話となり、そしてさらに、その結果の姿が肯定的に描かれている虎ならば、他者を顧みず自分の好きなことをやり遂げることを肯定している物語ではないでしょうか。

 つまり(高校生にとって)教材「山月記」の魅力の一つとしてあるものは、堅牢な漢文脈にまとわれてはいますが、中身は青春期の己の欲望を貫徹すれば不幸になってもかまわないというメッセージが、(たとえ授業内容や展開とは全く異なってはいても)作品全体から肌で感じられるがゆえに、魅力となっているのではないでしょうか。

 この「魅力」は、確かにあると思います。(わたくしの高校時代の「授業」を思い出しても。)
 しかしそれは、実は欲望の貫徹を示すものとしてのそれではありません。それとはいわば、真逆の「魅力」であります。

 次回は、李徴がなぜ虎になったのかを中心に考えたいと思います。続きます。


 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 





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Last updated  2020.04.13 08:28:43
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