人生の道筋
人生の満足度は、さまざまだと思いますが、やはり生まれてからの環境に大きく左右されているのは否めないですね。その環境を離れて一人で独立心でやり通しても、幼児期の数十年は取り戻す事は不可能です。ある程度40歳ぐらいまでなら、新しい第2の人生が送れるでしょう。どんなに順風満帆であっても、50代になった時にその後の将来を見直す事になります。母親が高齢出産だったので、私は介護や両親の死を同じ年代の人より20年ほど早く負うことになりました。相談する友人もいなく、一人で両親の死を受け止める事しかありませんでした。20代で成人しているにもかかわらず、両親が居ないことで見下されるような扱いをされたことがありました。世間は、そのような狭い見方しかされないのかと、理不尽な気持ちにもなりました。結婚すれば、別の見方や扱いはされても、身内からは冷たい扱いでした。法的な一般的な立場であったも、些細な隔たりを感じていました。しかし、私には、法的処置をされてない義理の兄が二人存在しています。実子の妹が一人いますが、血族では兄が二人いるのです。実は、父親が19歳の時に事実婚してもった妻子だそうです。平凡な家庭から突如、親戚の人が母親に実は、父親には籍を入れていない妻子が居ることを聞かされ、とてもショックを受けていました。私が高校一年の時でした。それが判明したと言っても、あちらの妻子は、私たちには関りを持つことはありませんでした。父親からはその話しは、一切ありませんでした。その妻と言われる女性が悪癖だと親戚の人は言っていて当然の成り行きのようになっていました。私も全く気にせず、今まで来たわけですが。。。父親が事故で急死した時に、葬儀にも来たかったけど、遠慮したと親類から伝えられました。その時は、葬儀の忙しさでただこなすだけの状況でほとんど気にしませんでした。でも、墓参りには、度々訪れている、とお寺の住職の奥様からは伺ってはいます。その妻子にとっては、実の父親であるわけだし、そうあるべきだと私も思います。そして、マレーシアでの事件があり、父親が籍を入れなかった妻子の家族の立場を考えてみました。あちらからすれば、勝手な父親にしか義理の兄たちは思っていないのではとか、、、私自身、あちらの家族は会ったこともないので他人のような存在です。それでも、葬儀や財産のなどの法的な際には、その妻子の存在が出てきます。彼らは、法律の書面には存在していません。もしかしたら、私の父親ではないかも知れません。私自身が生まれてからの環境のみならず、私が生まれる前の親の行いです。実際は、自分自身が知らないだけで、別の事実が実は存在しているのかも知れないですね。義理の兄たちは、父親は、私たちの事や母親の事をどう考えているのでしょうか。自分中心に両親の事を考えていたけれど、もっと複雑なんだと最近思うようになりました。生まれる前から、人生ははじまっている、と言うことなんですね。emmilia