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カテゴリ:はっとする気づき編
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。
きのう、久しぶりに近くのサイクリング道に20キロほど、 自転車で走りに出かけました。 あたたかい季節には連日、走りに出かけるのですが、 寒い季節は冬眠状態の、ヘタレなマスターです(笑)。 ですが、やはり体を動かしに出かけるとういうのは、とてもいいですね。 走っている間中、アルファ派が出るのか、新しいアイデアがどんどん空から降ってきます。 どうぞみなさんも、仕事につまったり、アイデアにつまったりしたら、 アルファ派を出しに出かけてみて下さいね。 机にへばりついている時には出ないような素敵なアイデアが、 きっとたくさん出てくると思います。 さて、前回は、「そもそもイヤな感情というのは、どうしてわき起るのか?」、 そういえば、わたしたちはほとんど疑問を感じたことがないかもしれない ということについてお伝えしました。 わたしたちの多くは、あまりに日常的なことに関しては、 アタリマエと感じるまでもなく、アタリマエになってしまっているために、 「そう言えば、なんでなんだろう?」なんて考えてみることも、 ほとんどありませんよね。 わたしたちには、高揚感や幸福感というような喜びの感情と、 悲しみや痛みなどのイヤな感情の両方を感じる機能があります。 できることなら、喜びや高揚感、幸福感をいつも感じていたくて、 悲しみや痛みなどの、イヤな感情は感じたくはないですよね。 ですが、わたしたちは、喜びの感情と痛みの感情の両方を感じます。 これって、そもそもなぜなんでしょう? どうして、わたしたちには、イヤな感情が必要だったんでしょうか? マスターは、ショットバーのカウンターに立っていたことで、 数多くの幸せな成功者と呼ばれる人たちと、 そうじゃない人たちとに出会い、彼らの何が違うのかということを 学びとるという、幸運に恵まれました。 幸せな成功者と呼ばれる人たちが、 幸せな成功者たる根っこのところにはなにがあるのかということを マスターなりに深く観察してみていったところ、 ひじょうに興味深いことがみえてきました。 それが実は、このイヤな感情との彼らのつきあい方というところだったんです。 この根本的な知恵についてお伝えする前に、 まずはイヤな感情が沸き起ってくる、「しくみ」についてみてみましょう。 そもそもイヤな感情というものは、なぜ起こるようにできているのでしょう? まず、わたしたちがイヤな感情を感じるときのパターンをみてみましょう。 イヤな感情と一言で言っても、悲しみ、怒り、恐怖、不快感など、 幾種類かのパターンがありますよね。 で、それぞれの感情を具体的に分類していくと、 (1)悲しみの感情(挫折感 無力感 離別 喪失etc) (2)怒り(理不尽さ プライドに関するもの etc) (3)恐怖(生存の危険 悲しみや怒りの感情を感じさせそうなもの etc) (4)不快感(生存の危機 etc) かなり大さっぱな分け方ですが、分類するとこんな感じになりますよね。 (勿論、もっとたくさんありますが、あえて分かりにくくならないような 大さっぱな分け方をしてみました) この分類をよくみていくと、あることがみえてきます。 それはなにかというと、イヤな感情の多くは、 「悲しみや怒りなどの不快な部類の感覚を再体験しないようにするために、 働いているらしい」ということです。 大切なところなので、もう一度書きますね。 イヤな感情はなぜ感じるかというと、 (覚えていても、覚えていなくても、)かつて体験した痛みや、 悲しみや怒りを、再体験することで受けるダメージを避けるために、 自分では意識していなくても、自動的に反応する、 安全装置の役割があるらしいということです。 つまり、イヤな感情が起こるしくみというのは、 生存を守るために自動的に反応する、安全装置といえるかもしれません。 生物には本能的に生存を守るために、この安全装置が用意されています。 たとえば、かつてアイロンでやけどした経験があるとしたなら、 冷えた状態のアイロンに手が当たっても、 思わず手を引っ込めたり、耳たぶを触ったりしますよね。 (なぜか、冷たいのに、「熱っ!」って言ったりしますよね(笑)) カッターや包丁で作業する時も、無意識のうちに姿勢を正したり、 緊張した状態になっているのを感じたことがあると思います。 これらは、痛みや不快感などの身の危険を避けるために、 自動的に反応する安全装置の仕業なようです。 つまり、この安全装置のおかげで、 わたしたちは事前に危険なものを(無意識に)察知して 身の危険から自らを守れているということなようです。 もし、この安全装置の機能がなかったとしたら、 わたしたちは、常にあらゆる危険を意識していなければならないなんて すごくたいへんなことになってしまいますよね。 ですが、この安全装置があるおかげで、アタマで考えるよりも早く、 無意識が反応して、危険から身を守ってくれているようです。 このようにイヤな感情とは、自分でも覚えていないような過去の体験でも、 無意識がちゃんと覚えていて、身の危険を感じるような出来事や、 それに似たような状況を察知すると働くようにできている、 安全装置といえます。 でもわたしたちは、アイロンをさわったら、なぜ熱くなくても 手を引っ込めちゃうのかとか、包丁やカッターを扱う時には なぜ身構えた姿勢になっているのかとか、 あまりに日常的なこと過ぎて、「あれ?そういえばなぜかな?」って 考えてみることは、ほとんどありませんよね。 さて、イヤな感情も、どうやら自分の身の危険を事前に守ってくれるために 働くものだということは、みえてきましたが、大事なところはここからです。 このわたしたちを身の危険から守ってくれるはずの安全装置には、 実はわたしたちを幸せな方向から遠ざけてしまう可能性もあるということです。 どういうことかというと、 安全装置は、自動的に身の危険に関わるようなことを察知すると 反応するとお伝えしましたよね。 そしてそれは、過去の痛みの体験か、それに似た体験を 無意識が「危険なもの」として記憶しているために反応するわけですが、 ここには、人前で恥ずかしい思いをしたとか、友達にいじめられたとか、 親にしかられたとか、親同士がけんかしていたとか、 小さい時に振り返ったら誰もいなかったとか、 そういう情報も書き込まれているということなんです。 つまり、無意識の記憶装置には、本人の覚えていることも、 覚えていないようなことも含めて、 あらゆる情報が書き込まれてしまっているということですよね。 実は、ホントに自分らしく生きようとか、 豊かになろうって思い立った時、 すごく自分を小さく感じてしまったり、不安になったり、 無力感や挫折感を感じてしまったり、 壁にぶつかった時に、すごく落ち込んでしまったりするのは、 自分でも覚えていない過去のダメージを受けた無意識の記憶が、 安全装置に勝手に反応することで、感じる感情らしいということなんです。 そうなんです。 わたしたちが、自分らしく生きようとか、 成功しようって決めた時に感じる不安や不快さなどのイヤな感情は、 今のことでなく、過去のことだと言えるようです。 つまり、わたしたちは今を生きているつもりでいても、 実は感情は、過去を生きているという、 時間のずれを体験しているらしいということなんです。 わたしたちの多くは、ホントに自分らしい人生を生きようとか、 成功しようとか決めた時に、不安や恐怖を感じたりするものですが、 実はこのイヤ感情にも、アイロンやカッターの刃のように、 自分では気がついていないけれど、 そんな反応をする理由がちゃんとあるようです。 そして、わたしたちは知らず知らずのうちに、 体は現在を生きているのに、感情は過去を生きているのかもしれません。 そして、マスターが出会ってきた、ホントに自分らしくイキイキさと 深い満足の中に生きる、幸せな成功者と呼ばれる人たちは、 このこころと感情のしくみのことをちゃんと理解している人たちでした。 そして、このことを理解しているうえで、 彼らは上手に感情と付き合いながら、幸せに自分らしく生きていく、 ある方法をみつけていったようです。 それは、体と感情の両方が、今この瞬間、現在を生きる方法なようです。 その方法とは、いったいどんなものなのでしょう? このつづきは、次回に続きます。 本日は、当店にお越しいただき、ほんとうにありがとうございます。 またのお越しをこころよりお待ちしております。 いってらっしゃいませ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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